夏目漱石の痔
|
|
痔を患った有名人としては、世界的には、ナポレオン、ルイ14世などですが、日本では、夏目漱石、松尾芭蕉、芥川龍之介などでしょうか。今回は、漱石を取り上げます。自身の痔の体験について、小説、日記、書簡などに多数の記述を残しています。
医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下した。
「矢張穴が腸まで続いてゐるんでした。此前探つた時は、途中に瘢痕の隆起があつたので、つい其所が行き留りばかり思つて、あゝ云つたんですが、今日疎通を好くする為に、其奴をがりがり掻き落として見ると、まだ奥があるんです」(下記「漱石全集」から)
これは、夏目漱石の最後の小説で未完で終わった「明暗」の冒頭の部分です。
この「明暗」は、主人公津田の痔の診察、入院、手術を背景に物語が展開していきます。漱石自身の痔の実体験に基づき記述され、それは具体的かつ詳細です。
|
国立国会図書館デジタルコレクション
から転載 |
漱石の疾患というと、胃弱と神経衰弱がよく知られていますが、痔瘻にも苦しみました。
漱石は、肛門部に異常を覚え、明治44年9月(漱石45歳)に胃腸病の主治医の友人で性病専門(肛門科ではない)の佐藤医師により、たまたま往診を受け、その後も治療に当たりました。診断は肛門周囲膿瘍で、切開排膿後通院治療していましたが、症状が改善せずちょうど1年後の大正元年9月に神田錦町にあった佐藤診療所に入院し、本格的な痔瘻の手術を受け完治しました。
ちなみに、この「明暗」では何故か「痔」という病名を全く使わず、単に「病気」という言い方をしています。 |
|
|
「明暗」の中の手術の場面の一部を次に引用します。
局部魔睡は都合よく行つた。まぢまぢと天井を眺めてゐる彼は、殆んど自分の腰から下に何んな大事件が起つてゐるのか知らなかつた。たゞ時々自分の肉体の一部に、遠い所で誰かが圧迫を加へてゐるような気がする丈であつた。鈍い抵抗が其所に感ぜられた。
|
「どんなです。痛かないでせう」
医者の質問には充分の自信があつた。津田は天井を見ながら答へた。
「痛かありません。然し重い感じ丈はあります」 |
漱石は、再手術の3日後の入院中に、知人あてに痔に関する著名な書簡をしたためています。
「御尻は最後の治療にて一週間此処に横臥す。僕の手術は乃木大将の自殺と同じ位の苦しみあるものと御承知ありて崇高なる御同情を賜はり度候」
そして、退院後の日記に、
医者に行く。「今日は尻が当り前になりました。漸く人間並みのお尻になりました」と云われる。(省略)車上にて「痔を切って入院の時」の句を作る。「秋風や屠(ほふ)られに行く牛の尻」。
と記載しています。
これは別の日ですが、
切口の冷やかな風の厠より という句も詠んでいます。
一部原文表記と異なります。
参考・引用文献:岩波書店「定本 漱石全集 第十一巻」2017年10月発行
立川昭二著「病の人間史」文春文庫 「漱石全集」岩波書店
|
|
|
|
|