コンパクト版
芥川龍之介
この文豪の痔は、大正10年30歳のとき、4か月に亘る中国への視察旅行からの帰国後に、胃腸障害(特に下痢)、神経衰弱とともに発症しています。
この3つの病は、昭和2年芥川が自殺
するまで、芥川の持病となります。ただし、痔の程度としては、芥川の主治医で自殺直後に診察をした下島医師によれば、「脱肛で、手術の必要ありとは一度も認められない。」と診断しています。実際に、手術は行っておりません。
とは言うものの
芥川はずいぶん痛みに悩まされました。痛みがあるときは、坐薬を用いたりしていたようです。
芥川の知人あての書簡にはこの痔に関する記述が散見され、また、小説「歯車」に痔の文字が記載されています。その一部を次に引用します。

○書簡から
大正10年、下島医師へ
 「この間の下痢以来痔というものを知り、恰も阿修羅百臀の
 刀刃一時に便門裂くが如き目にあひ居り候」、
そして同じ書簡の中で、
 「秋風や尻ただれたる女郎蜘蛛」
という句も詠んでいます。
 
芥川龍之介 
国立国会図書館デジタルコレクションから転載
大正15年には、
 「僕はもう尾籠ながらかき玉のやうな便をするのに心から底から飽きはててしまつた。菅忠雄君曰
 痔の痛みなんてわかりませんね。僕曰、たとえばくろがねの砦の上に赤い旗の立ってゐるような
 痛みだ。わかる?」。

この痛みの表現、いかがでしょうか。次のようなものもあります。
 「痔猛烈に再発、昨夜呻吟して眠られず。」、「痔痛みてたまらず、眠り薬を三包のみたれど、眠る事も
 出来かね、うんうん云ひて天明に及び候」

○小説「歯車」から
 「が、暫らく歩いてゐるうちに痔(ぢ)の痛みを感じ出した。それは僕には坐浴より外に癒(なほ)すことの
 出来ない痛みだつた。『坐浴(ざよく)、−ベエトオヴェンもやはり坐浴をしてゐた。・・・・・・・・・』」
この歯車は、芥川自殺の約3か月前に執筆された最後の小説です。きっと死ぬまでこの病に苦しめられたのでしょう。


参考・引用文献 「芥川龍之介全集」岩波書店、下島勲著「芥川龍之介の回想」近代作家研究叢書91


   
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