紫式部と「痔」・・・ |
紫式部の夫である藤原宣孝が痔でした。三蹟の一人である藤原行成が書いた日記「権記」に、「長保三年二月(1001年)に宣孝が春日祭使の代官を命じられたが、痔病のため断った。」という趣旨の記述があります。
この藤原宣孝と藤原行成は、NHK大河ドラマ「光る君へ」に登場していますね。
ところで、宣孝の痔について、「権記」のわずかな記述からその様子を描写した小説があります。須山ユキヱ著「紫式部幻影」です。紫式部は大河ドラマでは、その名は「まひろ」とされていますが、この小説では、「香子」とされています。いまのところ、本名は何だったのか定説はないようです。
「痔」という文字が出てくる個所を下記に引用します。
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■紫式部幻影
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(略)
眉目秀でて長身、伸びた背筋には老いも衰えも感じさせなかった豪放磊落な宣孝には死神さえも力を貸して、いたましく病み呆ける時期を飛び越えさせて迎え取ったのであろうか。
まこと、夫は病気もみじめさも似合わないさかんな人であった。
人に洩らさぬ持病の痔疾を病気のうちにははいらないものよ、と笑い捨てていた。
しかし、もしかしたら何となく笑いを誘うあの病名の内側に恐ろしい死神がひそんでいたのではあるまいか、と思い巡らすと香子は埋み火を踏みつけた気持ちになる。
夫の痔疾を知った時、宣孝殿とお尻の病とは不似合いですよ、と言い捨てた自分が今となっては悔やまれる。
威儀を正して門をはいって来た夫は部屋にはいるなり股を開いた不様な歩きぶりに変り、切ない声で、
「薬湯を、薬湯を。塗り薬を」
と、うつぶせになって呻いた。
「痔疾とは申楽(こっけい)じみた病気ですね。本人の他には解らぬこの痛み。それだけに耐える辛さも一入でね。人間も申楽じみた振舞いをする者ほど、人知れぬところで苦労の多いものよ。お解り下され香子殿」と香子の膝に這い寄り、苦し気に細めた目を急に見張って舌を出して見せたりした。
あの時、私はどんな顔をして夫に対していたのであろうか、さぞやうとまし気に瞳を外らしたのではないか、と香子はつらくなる。
思えば苦痛すら面白さに変えて相手を楽しませようとする人であった、とその優しさが香子の胸を締めつける。
(略)
(参考)
「権記」(中)藤原行成 全現代語訳 倉本一宏 講談社学術文庫 2012年1月11日発行
「紫式部幻影」須山ユキヱ著 青弓社 1991年1月30日発行
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