痔の散歩道

鬼平犯科長(池波正太郎)
鬼平犯科帳
池波正太郎の鬼平犯科帳9巻に「泥亀《すっぽん》」があります。泥亀というあだ名の元盗賊七蔵が登場します。この元盗賊が昔世話になった盗賊の親分への恩返しのため、その妻子を助けようとする物語です。この元盗賊の泥亀が
持ちで、に関する記述が多数あります。

池波正太郎(いけなみ・しょうたろう)
大正12年(1923)年、東京に生れる。昭和30年東京都職員を退職し、作家生活に入る。新国劇の舞台で多くの戯曲を発表し、35年第43回直木賞を「錯乱」によって受賞。52年第11回吉川英治文学賞を「鬼平犯科帳」その他により受賞する。63年第36回菊池寛賞受賞。作品に「剣客商売」「その男」「真田太平記」゛必殺仕掛人゛シリーズなど多数。
平成2年67歳で死去。

文春文庫「鬼平犯科帳(九)」 池波正太郎著 1989年12月5日 第16刷 カバーから引用


泥亀(すっぽん)

」と書かれている箇所を中心に抜粋します。

(略)

 だが、いまの七蔵は幸福(しあわせ)で、持病の苦痛は依然として消えないけれども、四十四歳になる女房のお徳が、ひとりで茶店を切りまわしてくれているし、お徳の母親のおきねも、六十をこえていながら丈夫で、よくはたらいてくれる。

(略)

 その日の昼すぎ・・・・・・。
 七蔵は、伊皿子台(いさらごだい)町に住む町医者・中村景伯(けいはく)の家へ出かけて行った。
 持病の診療のためである。
 霜月(しもつき)(現代の十二月)の空が冷え冷えと曇り、
「う・・・・・・()て、て・・・・・・」
 道を歩みつつ、七蔵はおもわず、苦痛を声にだしていた。
 
()(やま)いなのだ。
 七蔵は、魚籃坂をのぼりきるまでに、何度、足をやすめたか知れない。
 臀部(でんぶ)疼痛(とうつう)が、そうさせるのだ。

(略)

 持病の
が、ずきずきと痛むのを忘れたかのごとく、七蔵は町医者・中村景伯の家へ治療に立ち寄ることも忘れ、ふらふらと歩みつづけていた。

(略)

 泥亀の七蔵は、それから毎日のように、昼すぎから外出(そとで)をするようになった。
 女房も母親も、
「景伯先生に、
の治療をしてもらうのだ」
 という七蔵のことばを、いささかも、うたぐってはいない。
 何故というなら、事実、七蔵の
は悪化しつつあったからである。
 
の苦痛というものは、まったく、
「なってみぬとわからぬもの」
 なのである。
 大の男が、尻の激痛に()えかね、人が見ていないところでうめき声('''')を発するとき、その声が泣声になっているのだ。
 (なみだ)も出てくる。
 そのくせ七蔵は、胃腸が丈夫であった。尻の患部が痛んでも、胃腸が要求するから、食べる。
 食べれば自然、出るのが人体の摂理であるから、出そうになれば(かわや)へ行く。
 ところが、出ない。
 中のものは出たがっているのだが、出るべき個所が()れあがり、切れ、出血し、傷ついていて、激痛をともなっているのだから、
「出たがっているものを通してくれねえ」
 のだ。
 長い間、苦痛といっしょに厠へしゃがみこんでいるうち、ようやく出そうになる。そして少量の便が出る。もっと全部、出してしまって、
「せいせいしてえ」
 とおもい、りきんで出そうものなら、尻の傷口が一度に裂け破れ、出血おびただしく、去年の冬なぞは七蔵、厠の中で出血のため気をうしなったことさえあった。
 盗賊だったころも、悪くないことはなかったのだが、我慢できる程度のもので、膏薬(こうやく)をはっておけば、いつしか軽快となってくれたものなのに・・・・・・。
「よけいなものが、早く早くと出たがっているのに、尻が通せんぼしやがるのだよ」
 と、いつかたまりかねて、七蔵が女房・お徳へ、泪ぐんでこぼしたこともあった。
 伊皿子台町の町医者・中村景伯の治療をうけるようになったのは、つい先頃からだが、
「これは相当に悪くなっている。辛抱(しんぼう)して気長に治療をつづけぬといけない」
 景伯先生に、そういわれていた矢先に、七蔵は関沢の乙吉に出合ったのであった。
 さて・・・・・・。
 泥亀の七蔵は、
の治療に行くといいおき、毎日、外へ出て行きはしたが、景伯先生のところへ顔を出したわけではない。
 では、何をしていたかというと・・・・・・。
(おれが、独りばたらきができるような(つと)め場所はないか・・・・・・?)
 諸方を()めぐり歩き、すくなくとも金五十両を盗み取れそうな商家を、血眼(ちまなこ)になって、さがしもとめていたのである。
 だからといって、あまり遠くまでは足をのばせない。
 
(やまい)いに、歩行は禁物(きんもつ)だ。
 歩く分量に比例して、痛みも(はげ)しくなる。
 このところ連日、底冷えの(きつ)い曇り日つづきで、日によっては、風にのって雪が落ちてくることもあった。
 痛みにたまりかね、それでも二度ほど、七蔵は中村景伯のところへ行き、治療をうけた。
 七蔵は高輪(たかなわ)から白金(しろかね)、または芝の田町から金杉通りのあたりまで、痛みをこらえた顔を菅笠(すげがさ)に隠し、押し込む先を物色(ぶつしよく)してまわった。
 痛みばかりか、自分の尻が腫れてふくらみ、鉛の入った風船玉を二つ、尻にぶら下げているような気もちがしてくる。
「う、うう・・・・・・」
 こらえかねて、おもわず、うめき声をもらすこともあるし、
「あ・・・・・・あっ、あっ・・・・・・」
 出そうになるものに全身をゆさぶられ、冷汗をかき、空地や草原をさがしてしゃがみこみ、尻をふく紙を片手につかみしめ、冷汗から脂汗(あぶらあせ)に変わった苦悶(くもん)にさいなまれる。
 それでいて、(ああ、もう・・・・・・どうにも、いけねえ。だ、だめだ・・・・・・)
 五日も歩きつづけて、泥亀の七蔵は、絶望的になった。

(略)

 そこで、相模の彦十が、主として七蔵の尾行にあたり、伊三次は連絡(つなぎ)をつとめた。
「伊三次は、七蔵の前へ顔を出さぬようにしろ。いずれ、お前にはしてもらうことがある」
 と平蔵がいった。
「ねえ、(てつ)つぁん・・・・・・」
 報告に来た相模の彦十が、笑いをかみころしながら、
「どうやら七蔵は、独りばたらきをするつもりらしく、病いを押して、盗め場所をさがしまわっておりやすよ」
「ほう・・・・・・そうか」
「それがさ、尻を押えて、びっこをひきひき・・・・・・」
「なんだと?」
「どうも野郎、ひどく
が悪いらしいので」
もちの盗人か、それはおもしろい」
「それでね、銕つぁん。野郎、なかなかふんぎりがつかねえようだ」
「ほほ・・・・・・」

(略)

 そこへ、一行が帰って来た。
「そうか。よし七蔵を白州へまわせ」
 炬燵から出た平蔵が(はかま)をつけて、
「おい、左馬。その盗人の調べは明日でもよいのだが・・・・・・この雪空に、冷え切った牢屋へ一晩入れておくのも可哀相でな」
「なんで、また・・・・・・?」
「そやつめ。尻が冷えると泣き出すそうな。うふ、ふふ・・・・・・」

(略)

「ただし、わしを裏切ったなら、すべては打ちこわしになる。そのことを、よくよく考えるよう。これからいそがしくなるぞ。早く尻の病いを癒しておけ」

(略)

同上「鬼平犯科帳(九)」から引用

原文表記と異なるところがあります。



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