痔の散歩道 痔という文化

日はまた昇る
■日はまた昇る
第一次大戦後のスペインの祭礼週間を背景に、戦争で性的不能におちいった主人公ジェイクの爆発する情熱、淫蕩な女主人公ブレットと若い闘牛士との灼熱の恋、彼女を恋する男たちの狂躁などを、簡潔な単語、短文を主にした吐き捨てるようなハードボイルド・スタイルの文体で描く。
明るい南国の陽光のもと、虚無と享楽の淵にただよう”失われた世代《ロスト・ジェネレーション》”の生態を描破した初期の代表作。

アーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway (1899-1961)

シカゴ近郊生れ。1918年第1次大戦に赤十字要員として従軍、負傷する。1921年より1928年までパリに住み、『われらの時代』『日はまた昇る』『男だけの世界』などを刊行。その後『武器よさらば』、短編『キリマンジャロの雪』などを発表。スペイン内戦、第2次大戦にも従軍記者として参加。1952年『老人と海』を発表、ピューリッツア賞を受賞。1954年、ノーベル文学賞を受賞。1961年、猟銃で自裁。

新潮文庫「日はまた昇る」大久保康雄訳 平成十二年五月二十日二刷 のカバーから引用 、以下も同書から引用

《  》内はルビ。
一部原本と異なる表記があります。


■「日はまた昇る」の第十八章

(略)

 またベルモンテは条件がやかましくて、相手の牛が大きすぎてはいけないとか、あまり危険な角をもっていては困るとか主張した。これでは悲劇的なスリルをあたえるのに必要な要素がなくなるわけだ。しかも観客は、
瘻《じろう》を患《わずら》っているベルモンテがどうにか見せることができる三倍もの演技を要求した。だから観客は、一つ一つ裏切られたと思い、だまされたと感じた。そのためベルモンテは相手を軽蔑《けいべつ》するようにますます顎を突きだすようになり、顔はますます黄色くなり、の痛みが増すにつれて動きがますますぎごちなくなった。とうとう観衆は積極的にベルモンテを排撃する側にまわり、彼のほうでも極端に軽蔑と無関心を示すようになった。彼は、すばらしい午後の成功をおさめるつもりだったのに、きまってそれは嘲笑《ちようしよう》と罵声《ばせい》を浴びせかけられる結果となり、ついには、かつて彼が最大の成功をおさめた場所で、クッションやパン切れや野菜の切れ端まで投げつけられる羽目となった。彼の顎は、ますます突きだされるばかりだった。とくにひどい悪罵を浴びせられたときには、彼は歯をむきだし、顎を突きだして、例の唇だけしか動かさない笑いを見せたが、苦痛はつのるばかりで、ついには、その黄色い顔が羊皮紙のように白ちゃけてきて、二頭の牛を殺し終って、パンやクッションの攻撃が終ると、会長に向っても、例の顎を突きだした 笑いと軽蔑したような目つきで一礼し、剣を柵《さく》ごしに渡して血をぬぐわせ、ケープにおさめさせたあと、通路へはいってきて、ぼくたちのすぐ下の塀にもたれかかり、頭を両腕にもたせかけ、何も見ず何も聞かず、ただ苦痛をこらえているだけだった。しまいに、やっと顔をあげると、彼は水を一杯くれ、と言った。すこし飲んでから、口をすすぎ、水を吐きだし、ケープをとりあげて、闘牛場へ引きかえしていった。

(略)

(ベルモンテは、全盛期を過ぎた闘牛士。女主人公ブレットの恋人である闘牛士ロメロと一緒に闘牛をする場面。主人公ジェイクと女主人公ブレットがこの闘牛を見物している。)


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