痔の散歩道 痔という文化

ふらんすデカメロン(サン・ヌーヴェル・ヌーヴェル)
「みだら娘対あばずれ娘」「武装したコキュ」「勝手に手籠にされた女」などなど、女房、司祭、娘、騎士、尼僧、殿様と,、さまざまな登場人物がおおらかに繰り広げる愛の賛歌─15世紀中頃のフランス封建社会にあって、この作品は、人間の自由解放を謳い、人間の本性を赤裸々に描いて、後代フランス文芸復興のさきがけをなした、不朽の傑作である。

筑摩書房「ふらんすデカメロン(上)」 訳者 鈴木信太郎、渡辺一夫、神沢栄三 一九九四年九月二十一日第一刷発行 カバーから引用


[目次]


   太公殿下が語られた
第二話は、一人の若い娘が
の病を患った話。その娘は、治療しようとした乞食僧の一方だけ残っていた良い片眼を盲目にしてしまったので、裁判沙汰となったこと。

■[本文]

     殿下が語られた

   第二話

 ロンドルと称《よ》ばれるイギリスの京《みやこ》は、世にも知られた可なり人の集る所であるが、ここにさき頃、物持で権力のある男が住んでおった。商人《あきうど》なので身分は町人だが、高貴な衣類調度や数知れぬ宝物《たからもの》の中で、神様のお恵みによって授けられた美しい一人娘に、ありあまる財宝よりもなお一際《ひときわ》恐悦しておった。というのは、その気立が良くて、容貌麗《みめうる》わしく、また淑《しと》やかなこと、歳上のあらゆる娘にも優っておったからだ。さて、年の頃十五、六ともなって、娘の限りなくめでたい此のような噂や身持の正しい評判が、世間に拡って来ると、身分の高い多くの人々も、数々さまざまの、恋には常套《おきまり》の手段《てだて》を廻らして、娘の愛情を願ったり求めたりしたことは申すまでもないが、これが父親にとっても母親にとっても、なみなみならぬ喜びであった。またそのたびに、両親の心では、器量の好い可愛い娘に対して抱いておった燃えるような親の愛情が、いよいよ大きくなっていくのであった。
 しかしながら茲に、神様の御心からであろうか、それとも、この美しい娘の幸運とか、その両親の仕合せとか、或は双方併せての幸福とかを、嫉《ねた》んで快く思わない運命の神の仕業であろうか、それともまた、その穿鑿《せんさく》は学者や医者に委せるが、恐らく秘密の原因や自然に起る理由《ことわり》によってであろうか、この娘は、一般に痔尻《ぢけつ》と称ばれておる不快極まる危険な病気に罹るという仕儀《しぎ》と相成った。その両親が一番大切にしておった禁猟地に、この忌わしい病気が兎狩猟犬《グレイハウンド》や鹿狩猟犬《リミエ》を敢《あ》えて放って、其上に危い損《いた》み易い場所で、大胆にもその獲物に触れた時には、平穏だった家庭もまったく上を下へと混乱してしまった。可哀想な娘は、この大厄の災難に気も顛倒して、ただ泣いて溜息をついておる。母親は悲しんで取り乱して、娘にとってこれほど厭らしいことはないと歎く。父親は心配の挙句、両腕を捩じって、髪を掻きむしり、この新しい悩みに怒って喚くばかり。なんと話したらよかろうか。いつもこの屋敷になみなみと溢れておった華やかな喜びも、このために全く崩れて光を失い、なさけなや、忽ちにして苦い悲しみに変ってしまった。


(中略、女行者、幾人もの医者が治療するが、容態は悪くなるばかりであった。)


 こういう激しい苦しみと強い悩みに、幾日も幾日も過ぎ去った。そして父親も母親も、親類も、近所の人達も、娘を癒す手段を到る処に尋ね求めておった時、一人の年老いた托鉢の乞食僧《コルドリエ》が現れた。片目《めっかち》で、若い時分に沢山の物ごとを見て来た御仁で、その主な学問といえば、医術を熱心に修行したことであったから、この出現は病人の両親にとっては、なによりも嬉しかったが、病人を、ああいとおしや、さきに述べたと同様に遺憾千万にも、飽きるほど充分に眺め尽くした上で、この僧は、必ず癒して進ぜると断言した。勿論、この言葉は極めて快い音に響いた。こうして、長い間喜びを奪われておった悲しい一家の人々は、僧の言葉に言われた通りの効果があろうと期待して、そのために幾分か慰められたのであった。僧はそこから戻って、哀れな病人を苦しめて傷《そこな》っている激しい痛みや苦悩を僅かの間に拭い去る極めて効能のある霊薬を調え携えて、再びその翌日に参上すると約束する。
 この望みの日を待つ前の夜は、まことに長く思われた。然《さ》りながらその苦しみがどうあろうと、疾《はや》くも時は移って、件《くだん》の善良な乞食僧《コルドリエ》は、定められた時刻に病人の許《もと》に赴いて、その約束を果したのであった。極めて懇《ねんご》ろに、また欣《よろこ》んで迎えられたことは、申すまでもなかろう。いよいよ仕事にかかって病人を治療しようとする段に至ると、前と同じく娘の肉体を捉えて、寝床の上に出来得る限り美事にうつ伏せに臥かせて、そのお臀は充分前まで捲られたが、直ちに夫人や女中が真白な一枚の麻布で、蔽うて、裹《つつ》んで、包《くる》んでしまった。そして秘密の場所には穴が一つくっきりとあけられて、その穴から乞食僧の和尚は、はっきりと患部を見ることが出来たのだ。和尚は病巣を眺めた。右から眺めると思えば、左から眺める。一本の指でやわらやわらと触ってみたり、治療の粉薬をそこに吹きかけたり。そうかと思うと、病巣の上や内部まで件の粉薬を吹き込むのに用うる管を透して見たり、又そうかと思うと、後に退《さが》って、今更のようにこの所謂《いわゆる》患部に眼を注いで、いくら眺めても飽き足りないといった有様。
 とうとう終いに、和尚は、左の手に、平たい綺麗な小皿に入れたその粉薬を持ち、右の手には、件の粉薬を填《つ》めようとして管を執った。そして、あまりに念を入れて、近寄り過ぎて、哀れな娘の危険な病巣を穴からのぞいたり周囲《まわり》を眺めたりしたので、俄《にわか》に娘は、わが乞食和尚のたった一つの眼玉で見詰める奇怪な遣方《やりかた》を見て、大笑いが込み上げて来るのを堪えることが出来ないところであったが、それを娘は長い間じっと押さえることを考えた。然るに、ああ何たる不幸の廻り合せか、堪えに堪えたこの笑いが、一発の放屁《おなら》に変形してしまって、その放屁の風がまことにうまく粉薬に的中して、その大部分をこの善良な乞食僧の顔と隻眼《かため》とに吹き付けて、和尚は痛いッと感じて忽ち皿も管も取落して、危く仰向けにひっくり返りそうになったほど、喫驚《びっくり》仰天してしまった。そして、再び気を取り戻すと、大急ぎで手を眼に当て、大変に嘆いて、自分は片輪の人間だが、残っているたった一つの良い眼まで失う危険に曝されてしもうたと言う。嘘ではなかった。なぜならば、僅か数日のうちに、腐食性をもった粉薬が、眼を傷めて蝕《むしば》んで、そのために盲人《めくら》と成り果てたからである。

(中略、その後僧は、生活の保証を要求し、裁判所に訴えることになった。)

 而してこのために、以前にはその器量のよさと気立の優しさと淑《しと》やかさとで多くの人々に識られておった娘は、この
という呪わしい病気によって満天下に有名になってしまったが、後に聞き及んだところによれば、とうとう娘はこの病から癒ったそうである。


《    》内はルビ
一部原文表記と異なるところがあります。

同上「ふらんすデカメロン(上)」から引用
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