痔の散歩道 痔という文化

一九二八・三・一五(小林多喜二)
■一九二八・三・一五
おい地獄さえぐんだで─ 函館を出港する漁夫の方言に始まる「蟹工船」。小樽署壁に<日本共産党万歳!>と落書きで終る「三・一五」。小林多喜二(1903−1933)のこれらの二作品は、地方性と党派性にもかかわらず思想評価をこえ、プロレタリア文学の古典となった。搾取と労働、組織と個人・・・・・・歴史は未だ答えず。(解説=蔵原惟人)

岩波文庫「蟹工船、一九二八・三・一五」 小林多喜二著 2003年6月13日改版第1刷発行 のカバーから引用


■小林多喜二 
Kobayashi Takiji (1903−1933)
1903(明治36)年、秋田県生れ。小樽高商卒。北海道拓殖銀行に就職し、1929(昭和4)年解雇されるまで勤務した。志賀直哉に傾倒してリアリズムを学び、その後、プロレタリア文学に目覚め、労働運動にもかかわる。雑誌『戦旗』に中編が紹介され注目を浴び、『蟹工船』で支持を得る。以後、非合法化の共産党に入党し、左翼文学運動に力を注ぐが、1933年逮捕され、築地署で拷問により殺された。

新潮文庫「蟹工船・党生活者」小林多喜二著 平成十五年六月二十五日九十一刷改版 のカバーから引用


■「蟹工船、一九二八・三・一五」解説(蔵原惟人)から一部抜粋

(略)

 小林がこうした活動をしていた一九二八年三月十五日の未明を期して、当時非合法の状態で活發に活動していた日本共産党を先頭とする革命運動にたいする政府の大弾圧、いわゆる三・一五事件がおこったのである。その日から日本全国にわたって数千名の戦闘的な労働者、農民、知識人が検挙され、つづいて四月十日には、労農党、評議会、無産青年同盟が解散を命ぜられた。小樽でも、二カ月にわたって五〇〇名以上の労働者や社会運動家が逮捕され、小樽合同労働組合や労農党、無産青年同盟の小樽支部が解散させられた。この集に収められている小林多喜二の「一九二八年三月十五日」はこの小樽における逮捕と拷問を主題としたものである。

(略)

岩波文庫「蟹工船、一九二八・三・一五」から引用


■「一九二八・三・一五」の本文

(略)

 夜が明けていた。電灯が消えるとしかし、眼が慣れない間、室の中が急に暗くなった。壁の落書も見えなくなった。青白い、明け方の光が窓の四角に区切られて、下の方へ三、四十度の角度で入ってきていた。渡は急に大きく放屁(ほうひ)した。それから歩きながらも、力を入れて、何度も続けて放屁した。渡は
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が悪かったので、屁はいくらでも出た。そしてそれが自分でも嫌になるほど、しつこく臭かった。「えッ糞、えッ糞!」渡はそのたびに片足をちょっと浮かして放屁した。
 八時頃かも知れなかった。入口の鍵がガチャガチャ鳴った。戸が開いて、腰に剣を吊るしていない巡査が指先の分かれている靴下に草履(ぞうり)を引っかけて入ってきた。
 「出るんだ。」
 「動物園の獣じゃないよ。」
 「馬鹿。」
 「帰してくれるのかい、有難いなあ。」
 「取調べだよ。」
 そういったが、急に「臭い、臭い!」と、廊下に飛び出てしまった。
 渡はそれと分ると、大きな声を出して笑い出した。おかしくて、おかしくてたまらなかった。身体を一杯にくねらして、笑いこけてしまった。こんな事が何故こうおかしいのか分らなかったが、おかしくて、おかしくて、たまらなかった。

(略)

岩波文庫「蟹工船、一九二八・三・一五」から引用


一部原文表記異なる部分があります。
 

 
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