痔の散歩道 痔という文化

二十年前に北九州から上京した時に着ていた旧陸軍の外套の行方を求めて、昔の下宿先を訪ねる一日の間に、主人公の心中には、生まれ育った朝鮮北部で迎えた敗戦、九州の親の郷里への帰還、学生時代の下宿生活などが、脱線をくり返しながら次々に展開する。
他者との関係の中に自己存在の根拠を見出そうとする思考の運動を、独特の饒舌体で綴った傑作長編

講談社文芸文庫「挟(はさ)み撃(う)ち」後藤明生(ごとうめいせい)著、
2005年5月23日第四刷のカバーから引用

[著者]後藤明生(ごとう・めいせい)
1932年生まれ。早稲田大学露文科卒。作家。近畿大学文芸学部教授。著書に小説「関係」「笑い地獄」「挟み撃ち」「夢がたり」(平林たい子賞)「吉野大夫」(谷崎潤一郎賞)「スケープゴート」「壁の中」「首塚の上のアドバルーン」(芸術選奨)等。エッセイ集に「小説、いかに読み、いかに書くか」「雨月物語紀行」「笑いの方法-あるいはニコライ・ゴーゴリ」(池田健太郎賞)「小説は何処からきたか」等。

講談社「しんとく問答」後藤明生著 1995年10月16日第一刷発行の奥付から引用

■挟み撃ち

「痔」と書かれている個所を中心に抜粋します。ゴーゴリの「外套」も参考にご覧ください。

(略)
ところで、いささか唐突ではあるが、寒さというものと痔病とはいかなる関係を有するのだろう?幸いにしてわたしはこの持病に煩わされていないが、わたしの周囲には、この病気に悩んでいる男性が少なくない。ある推理作家は、レインコート製造販売会社から口説き落とされて、テレビの画面に宣伝出演したほどの容姿の持ち主であるが、彼も痔病だ。これは小説家には大敵である。彼なども一時は、猟銃自殺をとげたアメリカの作家を真似て、立ったまま原稿を書こうと考えてみたらしいが、結局そうもゆかなかった。なにしろ先方は横書きであるのに対してこちらは縦書きだし、それに、アメリカの作家の場合はタイプライターである。止むを得ず彼は、子供用の浮き袋をもう一まわり小さくしたような、ドーナツ形の座ぶとんを使用し、外出のときも放さず持ち歩いていたようであるが、ある日ついに、彼自身の表現によれば「福神漬の瓶」くらいのものを、手術して取り出したという話だった。その他、ある出版社の労働組合の委員長、ぱらりと額に落ちかかる髪を優雅な手つきでかきあげる仕草のよく似合うフランス文学者など、いうまでもないことだが、この病気と容貌とは何の関係もなさそうである。たぶんこれは、女性の場合も同様であろう。
 それでは寒さとの関係はあるのだろうか? というのは、ご存知のごとく、ゴーゴリの『外套』の主人公アカーキー・アカーキエヴィチ・バシマチキンは持ちだからである。そしてそれは、北国の首都ペテルブルグの気候のせいだということになっているからである。もっともアカーキーの痔病と『外套』の物語とは、いかなる関係をも持っていない。アカーキーはペテルブルグのある官庁に勤める万年九等官である。書類の書写が彼の仕事だ。いや、それは仕事以上のものだった。彼にはお気に入りの文字が幾つかあった。それはロシア文字のアルファベットの中の幾つかであるが、書類の中にその文字を発見した彼は、無上の喜びをおぼえるのである。時間が足りなくなると、自分のアパートへ書類を持ち帰って、気に入るまで清書を繰返す。それが彼の人生のすべてだった。なにしろアカーキーは、すでに五十歳を過ぎているにもかかわらず、独身者で、安アパートの住人だったからだ。
(略)

同上 講談社文芸文庫「挟み撃ち」から引用

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