[著者]大鐘 稔彦 Ohgane
Naruhiko
「一九四三年愛知県生まれ。京大医学部卒業。早くより癌の告知問題に取り組み『癌患者のゆりかごから墓場まで』をモットーにホスピスを備えた病院を創設。手術の公開など先駆的医療を行う。『エホバの証人』の無輸血手術をはじめ手がけた手術は約六千件。現在は淡路島の診療所で僻地医療に従事する。小説やエッセイなど著書多数。」
幻冬舎文庫「孤高のメス 神の手にはあらず 第1巻」 大鐘稔彦著 平成22年8月25日 7刷発行 カバーから引用
この「孤高ノメス」には、「神の手にはあらず」と「外科医当麻鉄彦」のシリーズがあります。診察、手術の場面があり、痔に関する記述は多くあります。それぞれから一部を抜粋します。
■「孤高のメス 神の手にはあらず」 第1巻から
「前人未到の脳死肝移植を成功させながら激しいバッシングにあい、病院を辞した当麻鉄彦。彼を守りきれなかった病院から次々と医師が去り、経営に暗雲が垂れこめる。一方、当麻は、後を追ってきた矢野とともに、台湾で患者の命を救い続けていた。そんな折、日本での手術が絶望的になった『エホバの証人』の癌患者が一縷の望みで当麻を訪ねてくる・・・・・・。」
同上、幻冬舎文庫「孤高のメス 神の手にはあらず」第1巻のカバーから引用
本文引用
(略)
その分の見返りは、レセプト点数分の手術料をそっくり支払うというもので、それならと武村は渋々承諾した。痔(ヘモ)の患者は、蘭医院を継いだ須藤に回した。
(略)
博愛医院の当麻の外来に、いつしか日本人の患者が姿を見せるようになった。高雄の支社に出張している商社マンやその家族たちである。
下血を見たと訴えてくる患者が何人かいた、その大部分は、排便時にチクッと痛みを覚えた、ティッシュで拭ったらインクを落としたような真っ赤な鮮血がついていたとか、ポタポタと肛門から滴り落ちるものがあるので思わず便器をのぞくと透明なはずの水が朱色に染まっていた、というもので、前者はいわゆる”切れ痔(裂肛)”、後者は”イボ痔”(内痔核)”からの出血だった。 切れ痔は軟膏の類で治まるが、イボ痔からの出血は硬化療法や切除を要した。ことに、排便の度に、あるいは、いきんだり、最悪の場合は立ったりしただけで肛門外に脱出してくるものには後者の治療を要した。 硬化療法は食道静脈瘤などに対しても行われるが、内痔核に対するそれは、前者と異なって、直接血管(痔静脈)に硬化物質を打ち込んだら危ない。注射薬がめぐりめぐって門脈にまで到り、門脈塞栓という由々しき合併症を引き起こしかねないからだ。肛門鏡下に膨隆したイボ痔を捉え、血管を避けて粘膜下に硬化剤のパオスクレーを五cc注入する。痔核を貫いて筋層にまで針先が及ぶと激烈な痛みを訴え、後々のトラブルにつながりかねない。
この硬化療法は、かつて甦生記念病院時代に知己《ちき》を得た開業医蘭秋二から会得したものだ。肛門外に脱出していたイボ痔も、これによって嘘のように引っ込んでしまう。但し、あくまで一時凌ぎで、数カ月後には再発することが多い。再発したらまた打ち込む。それを面倒と感ずる患者には手術を勧めることになる。脱出はそのように永久には止められないが、硬化療法の止血効果は抜群で、ほとんど再発を見ない。
当初は、”お尻に注射”と聞いて怖気付くが、嘘のように肛門がスッキリするので、忙しい商社マンには大いに受けた。中には、感激の余り、数日後に菓子折りを手にわざわざ礼を言いに来る者もいた。
(略)
■「孤高のメス 外科医当麻鉄彦」 第3巻から
「実川の上司である卜部教授は、頑として肝臓移植を認めなかった。だが定年後のポストに不安を覚えていた卜部は、手術が成功すれば有名国立病院の院長に推挙するというある人物との裏取引により態度を一変させる。かくして幼児の手術にゴーサインが出され、極秘に本邦初の生体肝移植が始まる。当麻も駆けつけるが、そのとき母危篤の知らせが・・・・・・。」
幻冬舎文庫「孤高のメス 外科医当麻鉄彦 第3巻」 大鐘稔彦著 平成21年7月30日 9刷発行 カバーから引用
本文引用
(略)
患者の脚の前に立って、蘭の左側の看護婦がほとんど直立で巧みに肛門鏡に手をかけた。蘭の真後から肛門をのぞき込んだ当麻は、腰椎麻酔や硬膜外麻酔で鎮痛、筋弛緩を図った時と何ら遜色なく、肛門が充分に開かれているのに瞠目した。 見事な内痔核が、ほとんど肛門全周に見られる。
(略)
原文と表記が一部相違するところがあります。
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