亡夫への思いを物語にかえ、ひそやかに、大胆に、式部の筆が動きはじめる・・・・・・。『源氏物語』成立の心的過程と、平安朝のあえかなる宮廷世界を活写する異色の長編小説。
「紫式部幻影」須山ユキヱ著 青弓社 一九九一年一月三十日 第一版第一刷発行 のカバーから引用
[著者]須山ユキヱ(すやま・ゆきゑ)
大正六年(一九一七年)、福岡県に生れる。
鎌倉文庫女流新人賞「法悦」、北日本文学賞選奨「林雪」、中央公論女流新人賞「延段」を受賞。
富山県功労表彰、小杉町表彰(文化)
『九十九しゃんの店』(青弓社」
『延段』(菁柿堂)
『富山県の民話』(共著、偕成社)
『全日本リッチ感覚事典』(共著。新潮社)
「火山地帯」同人
同上「紫式部幻影」須山ユキヱ著 青弓社 の奥付から引用
「痔」という文字が出てくる個所を下記に引用します。
香子とは、紫式部のこと。
藤原宣孝は、香子(紫式部)の夫である。
■「紫式部幻影」
(略)
正五位下検非違使右衛門権佐兼山城守藤原宣孝がはかなくなったのは四月二十五日であった。行年四十九歳。官位にそった重々しい葬儀も、亡骸を焼く煙を見上げたのも夢ではない。
(略)
眉目秀でて長身、伸びた背筋には老いも衰えも感じさせなかった豪放磊落な宣孝には死神さえも力を貸して、いたましく病み呆ける時期を飛び越えさせて迎え取ったのであろうか。
まこと、夫は病気もみじめさも似合わないさかんな人であった。
人に洩らさぬ持病の痔疾を病気のうちにははいらないものよ、と笑い捨てていた。しかし、もしかしたら何となく笑いを誘うあの病名の内側に恐ろしい死神がひそんでいたのではあるまいか、と思い巡らすと香子は埋み火を踏みつけた気持ちになる。
夫の痔疾を知った時、宣孝殿とお尻の病とは不似合いですよ、と言い捨てた自分が今となっては悔やまれる。
威儀を正して門をはいって来た夫は部屋にはいるなり股を開いた不様な歩きぶりに変り、切ない声で、
「薬湯を、薬湯を。塗り薬を」
と、うつぶせになって呻いた。
「痔疾とは申楽(こっけい)じみた病気ですね。本人の他には解らぬこの痛み。それだけに耐える辛さも一入でね。人間も申楽じみた振舞いをする者ほど、人知れぬところで苦労の多いものよ。お解り下され香子殿」
と香子の膝に這い寄り、苦し気に細めた目を急に見張って舌を出して見せたりした。
あの時、私はどんな顔をして夫に対していたのであろうか、さぞやうとまし気に瞳を外らしたのではないか、と香子はつらくなる。
思えば苦痛すら面白さに変えて相手を楽しませようとする人であった、とその優しさが香子の胸を締めつける。
(略)
一部原文表記と異なります。
同上「紫式部幻影」須山ユキヱ著 青弓社 から引用
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