■著者 海堂 尊
1961年千葉県生まれ。医師、作家。千葉大学医学部卒、同大学院医学系研究科博士課程修了。2005年、第4回「このミステリーがすごい!」大賞受賞、06年『チーム・バチスタの栄光』でデビュー。08年、『死因不明社会』で第3回科学技術ジャーナリスト賞受賞。著書に、『医学のたまご』『ジーン・ワルツ』『ひかりの剣』『マドンナ・ヴェルデ』『プレイズメス1990』『モルフェウスの領域』『ゴーゴー・Aiアカデミズムとの闘争4000日』など多数。
朝日文庫「極北クレイマー 下」海堂尊著 朝日新聞出版 2011年3月30日 第1刷発行 のカバーから引用
■「極北クレイマー」
財政難の極北市民病院で孤軍奮闘する非常勤外科医・今中。妊産婦死亡を医療ミスとする女性ジャーナリストが動き出すなか、極北市長が倒れ、病院は閉鎖の危機に瀕し─。はたして今中は極北市民病院を救えるのか?崩壊した地域医療に未来はあるのか?
同上「極北クレーマー 下」 のカバーから引用
■十四章 極北市・福山久作市長 3月11日火曜日
痔とい文字が書かれた箇所を引用します。
(略)
「実は外来のトイレのことなんですけど」
平松事務長は、うんざりした、という顔で首を横に振りながら、今中を見つめる。
「今中先生は以前、確か歓迎会の席でもそんなことをおっしゃってましたね。どうしてそんなにトイレにご執心なんですか?」
「冬場に和式で用を足すと、脳卒中の危険が高くなると言われているからです」
「それならむしろ、お年寄りは病院のトイレを使わないで下さい、と貼り紙をした方がリスクを避けられる上に費用もかからず、望ましい対応になるのではないでしょうか」
今中はまじまじと平松事務長の顔をのぞき込む。ジョークのつもりではなさそうだ。
「事務長さん、いくらなんでも暴論です。外来患者さんだってトイレに行きますよ」
「その時は向かいの市役所のトイレに行けばいい。あちらは全室お尻洗浄器付きの豪華版。徒歩三分です。市役所は暖房が強いですから脳卒中の可能性もより低くなるし」
今中は滅茶苦茶な論理に対し、ムダと知りつつ理由を追加する。
「他にも腰が悪いお年寄りとか、人工肛門患者とか、あと痔を患う方にも朗報です。ふたついっぺんに洋式にしろとは言いません。片方だけでいいんです」 「年度末ですから来年度予算ですね。一応項目に挙げますが、期待しないで下さいよ」 たとえ小さな一歩でも、前進だ。それはまごうかたなく、自分の力でたどりついた一歩だった。だが同時に室町院長が赤鬼の形相で怒鳴っていた記憶が呼び戻される。 ─口やかましく言っても、まず予算要求、次は予算がつかず、翌年は予算要求を忘れ、その翌年はまた予算要求の繰り返し。これでは病院施設が改善されるはずがない。
(略)
忍耐強い人格者のイメージが一瞬で壊れ、今中は、おや、と思う。だがそっちの方が、以前から感じている福山市長の印象とぴったり合う。 角田師長の超音波謝罪。 「申し訳ありませんでした、福山市長。次回は必ず・・・・・・」 「しっかり頼みますよ。ああそうだ、最近調子が悪くなった痔についてご相談するのをすっかり忘れてしまった。これも君の気が利かないせいだ。」 福山市長は角田師長をしつこくなじる。角田師長の謝罪の言葉は聞こえない。たぶん、声に出せないほど震え上がっているのだろう。やがて福山市長の声が穏やかに戻る。 「まあいい。済んでしまったことは仕方ない。痔の相談は今度にしよう。それより君、トイレに案内してくれたまえ」
(略)
同上「極北クレイマー 下」 から引用
一部原文表記と異なります。
|