痔の散歩道|痔プロ.com

松尾芭蕉
芭蕉の書簡に記された「痔」
 芭蕉の持病には、「痔疾」と「疝気」とがある。「痔」と「持病」と書かれた箇所を中心に次に引用します。なお、「持病」でも「痔疾」でなく「疝気」であることが明らかな場合も一部引用します。


■二 木因宛 ─ 【延宝九年七月二十五日付】 真蹟

(略)され共拙者、夜前《やぜん》は大に持病指発《さしおこ》り、昨昼之気のつかれ、夜中ふせり不
申《まうさず》候間、昼前迄《まで》気ヲ安メ可申候間、かならず昼前より御出《いで》可成候。(略)

【注】「夜前《やぜん》」;前夜。昨晩。
「持病」:芭蕉の持病には
痔疾と疝気があるが、ここでは後者であろう。
「昨昼之気のつかれ」:昨日連句を巻いた気疲れ。
「夜中ふせり《もうさず》」候間:よく眠っていないので。


■三 木因宛 ─ 【延宝九年秋】 真蹟


(略)少《すこし》持病すぐれ候故、一紙如レ此《かくのごとくに》御坐候。(略)

【注】「一紙如
此御坐候」:一筆、簡略なことかくのごとくです。


■五七 杉風宛 ─ 【元禄三年三月十日付]  真蹟

(略)拙者
下血《げけつ》痛《いたみ》候而《さうらひて》、遠境あゆみがたく、伊賀に而《て》 正月初《はじめ》より引込居(《ひつこみをり》申候。(略) 

【註】「
下血《げけつ》痛《いたみ》候而《さうらひて》」:持病のによる下血。奥羽北陸長途の行脚で悪化したらしく、書簡六一、七三、七五、九九、一○○等々、しばしばこのことに触れる。


■六一 如行宛 ─ 【元禄三年四月十日付】  真蹟写し

(略)持病下血《げけつ》などたびたび、秋旅《あきたび》四国・西国《さいこく》もけしからずと、先《まづ》おもひとゞめ候。(略)

【注】「持病」:
による下血。書簡五七注3。
「けしからず」:(持病のために)よくないと。


■七三 牧童宛 ─ 【元禄三年七月十七日付】  真蹟

(略)乍
去《さりながら》、去年遠路につかれ候間、下血《げけつ》など度々はしり迷惑致《いたし》候而、遠境羈旅《きりょ》不叶《かなはず》候間、東之方《かた》ちかくへそろそろとたどり可申《まうすべき》かとも存候。(略)

【注】「下血」:持病の
痔疾による出血。→書簡五七注3。
「遠境羈旅《きりょ》不
叶《かなはず》候間」:遠境への旅はできないので。四国西国への旅をいう。
「東之方《かた》ちかくへそろそろとたどり可
申《まうすべき》かとも存候。」:江戸へ帰る心積りをいう。書簡七一には十月としている。


■七五 智月宛 ─ 【元禄三年七月二十三日付】  真蹟

(略)われら
のいたみもやはらぎ候まゝ、御きづかいなされまじく候。(略)

【注】「
」:。書簡五七注3参照。


■七九 加生(凡兆)宛 ─ 【元禄三年八月十八日】  『俳諧一葉集』所収

度《たび》々預
貴墨《きぼくにあづかり》候へ共《ども》、持病あまり気むつかしく不御報《ごはうあたはず》候。昨夜よりも出《いで》候。名月散々《さんざん》草臥《くたびれ》、発句もしかしか案じ不申《まうさず》候。湖へもえ出《いで》不申候。木曾塚にてふせりながら人々に対面いたし候。(略)

【注】「不
御報《ごはうあたはず》候」:御返事も出来ませんでした。
「出《いで》候」:
の出血をいうのであろう。
「しかしか」:確々《しかしか》。しかと。
「湖へもえ出《いで》不
申候。」:すぐ目の前の琵琶湖へもよう出かけません。
「木曾塚」:義仲寺(の草庵)。


■八三 曲水宛 ─ 【元禄三年九月十二日付】 真蹟

松茸ぞふの声しばしば過而《すぎて》、庭の穂蓼《ほたで》の露けく、木《こ》ねり色付《いろづき》て、さうまいはしのにほひまで、秋も名残に移り、霜時雨《しもしぐれ》の旅用意とて紙子《かみこ》あはせ縫《ぬひ》したゝめ、檜木笠に書付《かきつけ》して、三里に灸すえんと心打《うち》さはがるゝに、魔疝、精神を濁して、いまだ富士の雪みむ事不定《ふぢやう》におぼへられ候。(略)

【注】「松茸ぞふの声」:松茸売りの声「松茸候《ぞう》」。以下、藤原俊成作と伝えれれていた「朝まだき松茸ざふの声聞けば庭の穂蓼も色づきにけり」をふまえて言う。
「木《こ》ねり」:木練《こねり》柿。
「さうまいはし」:相馬鰯か。未考。
「紙子《かみこ》あはせ」:紙子袷。上質の厚手の和紙に柿澁を塗って製した紙を継ぎ合わせて作った衣服が紙子。裏もつけたものが紙子袷。雨露寒気を防ぐ冬旅用。
「書付《かきつけ》」:巡礼・旅僧などが笠に書き付ける常套語「乾坤無住同行二人《けんこんむじゆうどぎようににん》」。
「三里」:膝がしらの下の外側の少しくぼんだ所。灸穴の一。旅用意の一→書簡四四注3.
「魔疝」:持病の疝気に魔を冠したもの。
「いまだ・・・」:以下、曲水宛書簡七一(注27)でほのめかした十月帰東の旅の予定が不発に終わることをおぼめかしつつ伝えたのであろう。


■八四 曾良宛 ─ 【元禄三年九月十二日付】 古写本所収

(略)俳諧、病気故しかしかうかゞひ不
申《まうさず》候へ共《ども》、人々の書《かき》てつかはし候。(略)

【注】「病気」:持病の疝痛のことと考えられる。書簡七九・八三にもその気配が察せられる。


■八五 加生(凡兆)宛 ─ 【元禄三年九月十三日】 挂下坊一菊等編『草津集』所収

(略)拙者も持病さしひき折《をり》々にて、しかしか不
仕《つかまつらず》候故《ゆゑ》、五三里片地《へんち》、あそびがてら養生に罷越《まかりこえ》候。(略)

【注】「持病」:持病が出たり引っ込んだり折々あって。しかし。この持病は加生宛書簡七九にもいう疝痛のことか。


■九六 北枝(推定)宛 ─ 【元禄四年正月三日付】  真蹟

(略)拙者持病持病とのみ顔しかめたる計《ばかり》に御座候。(略)

【注】「持病」:疝痛・
とも、この頃一進一退の状態にあった。


■九九 正秀宛 ─ 【元禄四年正月十九日付】  真蹟

(略)拙者持病、暖気にしたがひ少《すこし》づゝ快気《くわいき》候間、可
御心《おこころやすかるべく》候。

【注】「持病」:この持病は、「暖気にしたがひ少づゝ快気」とあるので、
をさすのであろう。なお、次簡参照。


■一○○ 智月宛 ─ 【元禄四年正月十九日付】  真蹟

(略)われら
ぢびやうもこの五三日心もちよく候まゝ、はるのうちやうぜういたし、おにのやうになり候て、しきものゝふとんもいらざるやうになり候て、御めにかけ可申《まうすべく》候。(略)

【注】「
ぢびやう」:持病。この持病はの方であろう。
「やうぜう」:養生。
「おにのやうになり候て」:鬼のように丈夫になって。
「しきものゝふとん」:敷物の蒲団。このことを云々していることから、前記の持病はと判断される。駕籠に乗る時、特別厚い柔らかい蒲団を用意したりしたのでこのように言ったものか。


■一○一 嵐蘭宛 ─ 【元禄四年二月十三日付】  『芭蕉翁真跡集』所収

(略)拙者旧冬甚寒《じんかん》、殊之外《ことのほか》痛《いたみ》候へ共《ども》、頃日《けいじつ》は又々常之通《つねのとほり》に居(ゐ)申候間、定而(さだめて)当年中には懸
御目《おめにかかる》に而《て》可御座ござあるべく》候。(略)

【注】「痛《いたみ》候へ共《ども》」:持病の
か疝痛か、いずれとも取れる。
「懸
御目《おめにかかる》に而《て》可御座ござあるべく》候」:(江戸に戻って)お目にかかることでありましょう。


■一〇二 怒誰宛 ─ 【元禄四年二月二十二日付】 写本『芭蕉翁手鑑』所収

(略)且《かつ》拙者持病も折《おり》折気指《きざし》候へ共《ども》、大痛《たいつう》も不
仕《つかまつらず》、旧友風情之《の》輩《やから》せつき申候而《て》、よほどやかましく御座候間、来月出京可致《いたすべく》と心懸《がけ》申候へ共、いろいろのがれぬ事共《ども》仕出《しで》かし、夏秋迄も可留《とどむべき》たくみいたし候。(略)

【注】「持病」:→書簡九九注2。
「旧友風情之《の》輩《やから》」:伊賀の俳人たち。「せつく」はうるさくねだる。
「のがれぬ事共《ども》」:伊賀を出られないような事どもを。
「たくらみ」:工夫。たくらみ。


■一○五 去来(推定)宛 ─ 【元禄四年三月九日付】  真蹟

(略)愈《いよいよ》御無事之《の》由《よし》珍重、残生《ざんせい》持病常之通《つねのとほり》に罷有《まかりあり》候へ共《ども》、春気気情ふらふらといたし、此境《このさかひ》又退窟に及《および》候間、追付罷立(おつつけまかりたち)候。(略)

【注】「残生《ざんせい》持病常之通《つねのとほり》」:生い先の短い命。転じて卑下の自称。「持病」は去年以来の書簡にもいう
であろう。「常之通」はいつもの通りで一進一退の状態であることをいう。


■一〇六 半残宛 ─ 【元禄四年五月十日付】 真蹟

(略)拙者成程《なるほど》息災、疝気《せんき》之《の》心持は近年なきほど快《こころよく》覚《おぼえ》申《まうし》候。(略)

【注】「疝気《せんき》」:芭蕉の持病の一つ。下腹部に疼痛の起こる病。


■一二六 珍碩宛 ─ 【元禄五年二月十八日付】 真蹟写し

(略)拙者も先《まづ》は無事罷有《ぶじにまかりあり》候へ共《ども》折《をり》折持病疝気《せんき》音信《おとづれ》、致
迷惑《めいわくいたし》候へ共《ども》、臥《ふせ》り申《まうす》程之《の》事は無御座《ござなく》候。(略)

【注】「持病疝気」:疝気は若年からの持病で、早くも延宝九年木因宛書簡二に現れる。『おくのほそ道』の旅後上方滞在中の書簡には
の持病と並行して現れるが、帰東以後の書簡に見える持病はここにいう疝気と考えられる。


■一二七 去来宛 ─ 【元禄五年二月十八日付】 真蹟

(略)拙者持病持病ながら、先《まづ》無
恙《つつがなく》罷《まかり》暮《くらし》候。(略)

【注】「持病」:前簡には疝気と明記。


■一二九 意専(猿雖)宛 ─ 【元禄五年三月二十三日付】 真蹟

(略)拙者も持病持病と申《まうし》ながら、年光《ねんくわう》既《すでに》弥生の末に成行《なりゆき》候。(略)

【注】「持病」:疝気をさす→書簡一二六。


■一三三 宛名不詳 ─ 【元禄五年夏筆か】 桃鏡編『芭蕉翁真跡集』所収

(略)拙者持病がちに而《て》暮《くらし》候へ共《ども》、露命は猶《なほ》難面《つれなく》候間可
御心《おこころやすかるべく》候。(略)

【注】「難面《つれなく》候間可
御心《おこころやすかるべく》候。」:何事もないのでご安心ください。


■一三七 如行宛 ─ 【元禄五年十月十三日付】 真蹟

(略)爰元《ここもと》、持病もさのみ指出《さしいで》不
申《まうさず》、深川に草庵わりなく営《いとなみ》、先《まづ》年之内《としのうち》は休《やすみ》に相究《あひきはめ》候。(略)

【注】「持病」:疝気の痛み。
「わりなく」:やむをえず整えて。
「休《やすみ》に相究《あひきはめ》候」:俳諧を休むことに決めました。


■一四九 許六宛 ─ 【元禄六年正月十二日付】 真蹟写し

(略)年明《あけ》候而《て》少《すこし》持病心《ごごろ》に罷有候は餅のとがめにやと存候。(略)

【注】「持病心《ごごろ》」:持病気味。疝気のこと。


■一五三 許六宛 ─ 【元禄六年三月二日付】 真蹟

辱《かたじけなく》拝見、さてさて不慮《ふりよ》之《の》大雪、手前病人に散々《さんざん》あたり候而《さうらひて》、拙者も持病指出《さしいで》申候へ共《ども》、拙者事は次に致《いたし》、病人保養にかゝはり居《ゐ》申《まうし》候。(略)

【注】「手前病人」:私方の病人。甥桃印をさす。書簡一六〇・162参照。
「持病」:疝痛をいうのであろう。
「拙者事は次に致《いたし》」:自分のことは二の次にして。


■一六五 白雪宛 ─ 【元禄六年八月二十日付】 真蹟写し

折《をり》折指出《さしいで》候而《て》迷惑致《いたし》候に付《つき》、盆後閉関《へいくわん》致《いたし》候。(略)

【注】「指出《さしいで》候而《て》」:持病の痛みが出ることをいう(→書簡一八七・一九七)。
痔疾・疝気のうち後者であろう。
「盆後閉関《へいくわん》致《いたし》候」:書簡一六八・一六九にも「初秋より閉関」とある。ただし、本簡に「盆後」と明記する点は有益である。閉関は門を閉ざして人と会わない意で、八月の名月までつづき、この間に長文の「閉関之説」が成った。この文章作品は専ら精神問題を主題として閉関の意義を説くが、本簡や右の書簡二通とも、肉体的衰弱を理由としている点は注目に値する。


■一八一 乙州宛 ─ 【元禄七年四月七日付】 真蹟

(略)拙者、持病快気次第発足《ほつそく》可
致《いたすべく》候。(略)

【注】「持病」:疝気をいうのであろう。今回の旅立ちが持病を気にしながらのことだったことは書簡一八二・一八三・一八五・一八七など一連の書簡によっても裏づけられる。


■一八二 宛名未詳 ─ 【元禄七年五月二日付】 真蹟

(略)いまだ持病も聢々《しかしか》無
御座《ござなく》候間、八日九にも成《なり》可申候や。(略)

【注】「聢々《しかしか》」:確々《しかしか》に同じ。持病の状態もしっかりしないので。


■一八五 山田屋七郎右衛門(雪芝)宛 ─ 【元禄七年閏五月十日付】 真蹟

(略)一昨夕《ゆうべ》少《すこし》持病気味御座候処、昨今は苦労に成《なり》申《まうす》ほどの事にも無
御座《ござなく》候。(略)

【注】「持病」:疝痛の持病であろう。


■一八七 杉風宛 ─ 【元禄七年閏五月二十一日付】 『芭蕉翁真蹟拾遺』所収

(略)拙者道中嶋田あたりまではつかえなども折《をり》々音《おと》づれ候得共《さうらへども》、次第に達者に成候而《なりさうらひて》、道々二三里、日により五里ばかり養生の為《ため》歩行《ほかう》、足場能《よき》所は馬にも乗《のり》旁《かたがた》致《いたし》候而、無
恙《つつがなく》上着《じやうちやく》致候。(略)

【注】「嶋田」:島田までは江戸発足から五日間の道中。
「つかえ」:胸部または腹部に起るさしこみ。癪痞《しやくつかえ》。芭蕉の場合は持病の疝気による腹部の疼痛であろう。


■一九七 李由宛 ─ 【元禄七年六月十五日付】 真蹟

(略)今度旧里《きうり》へ趣《おもむき》候刻《きざみ》、木曾路にかゝり直《すぐ》貴境へ御案内、許六《きよりく》方《かた》へと存候処、其節《そのせつ》持病指出《さしいで》候故《ゆゑ》、道中無
心元《こころもとなき》旨《むね》門人共《ども》達而《たつて》申《まうす》に付《つき》、東海道を下《くだり》候而《て》其元《そこもと》へ遅《おそなはり》候。(略)

【注】「旧里《きうり》へ趣《おもむき》候刻《きざみ》」:郷里。伊賀。「刻」は折・時の意だがキザミと読み習わす。
「木曾路」:中仙道に同じ、以下許六宛前簡と同趣旨。
「御案内」:お訪ねし。
「遅《おそなはり》」:遅くなったと同義。


■二一〇 曲翠(曲水)宛 ─ 【元禄七年九月二十五日付】 真蹟

(略)先《まづ》伊州にて山気《さんき》にあたり、当着の明《あく》る日よりさむき熱晩《ばん》晩におそひ、漸《やうやう》頃日《けいじつ》常の持病計《ばかり》に罷《まかり》成《なり》候。(略)

【注】「山気」:山中特有の冷えびえした空気。書簡二〇八の「なまかべ」と関連する。
「当着」:到着の宛字。
「さむき」:→二〇七



三省堂「新芭蕉講座 第七巻 ─書簡篇─ 」 今 栄蔵著 一九九五年八月一日 初版第一刷発行 より引用。

原文と表記が異なります。
《 》内はルビ。
※菊:原文は草冠なし


BACK
痔プロ.com