■死を前にして歩く「行乞記ニ」(種田山頭火)に記された痔
昭和七年
四月七日 曇、憂鬱、倦怠、それでも途中行乞しつゝ歩いた、三里あまり来たら、案外早く降りだした、大降りである、痔もいたむので、見つかつた此宿へ飛び込む、楠久、天草屋(二五・中)
(略)
・何やら咲いていゐる春のかたすみに
・明日の米はない夜の子を叱つてゐる(ボクチン風景9 此宿はほんたうにわびしい、家も夜具も食物も、何もかも、─しかしそれがために私はしづかなおちついた一日一夜を送ることが出来た、相客はなし(そして電燈だけは明るい)家の人に遠慮はなし、二階一室を独占して、寝ても起きても自由だつた、かういふ宿にはめつたに泊れるものでない(よい意味に於いてもわるい意味に於いても)。
(略)
五月二日 五月は物を思ふなかれ、せんねんに働け、といふやうなお天気である、かたじけないお日和である、香春岳がいつもより香春岳らしく峙つてゐる。 早く起きる、冷酒をよばれてから別れる、そつけない別れだが、そこに千万無量のあたゝかさが籠つてゐる。 四里ばかり歩いて、こゝまで来て早泊りした、小倉の宿はうるさいし、痔もよくないし、四年前、長い旅から緑平居へいそいだときの思い出もあるので。
(略)
今日の道はよかつた、いや、うつくしかつた、げんげ、たんぽゝ、きんぽうげ、赤いの白いの黄ろいの、百花咲きみだれて、花園を逍遥するやうな気分だつた、山も水もよかつた、めつたにない好日だつた(それもこれもみんな緑平老のおかげだ)、朝靄がはれてゆくといつしよに歯のいたみもとれてきた。
(略)
別れてきた荷物の重いこと (略) なつかしい顔が禿げてゐた(緑平老に) (略) あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
(略)
五月八日 雨、しようことなしの滞在、宿は同前。
(略)
痔がいたむ、酒をつゝしみませう。 ・ふるさとの夢から覚めてふるさとの雨 (略) 窓が夕映の山を持つた
(略)
五月十七日
十八 十九日 降つたり吹いたり晴れたり、同じ宿で。
(略)
仏罰覿面、痔がいたんで歩けないので休養、宿の人々がまたよく休養させてくれる、南無─。 同宿の同行はうれしい老人だつた、酒好きで、不幸で、そして乞食だ!
五月廿一日 曇后雨、行程六里、粟野、村尾屋(三〇・中) 今にも降りだしさうだけれど休めないやうになつてゐるから出かける、脱肛の出血をおさへつけてあるく。 古市、人丸といふやうな村の街を行乞する、ホイトウはつらいね、といつたところで、さみしいねえひとり旅は。
(略)
おどつてころんで仔犬の若草 (略)
今日はよく声が出た、音吐朗々ではないけれど、私自身の声としてはこのぐらゐのもだらうか。同宿三人、何といふ善人な人だらう、家のない人間は、妻も子も持たない人間は善良々々。 この土地もこの宿も悪くない、昨日は三杯飲んだから、今日は飲まないつもりだつたら、やつぱり一杯だけは飲まずにゐられなかつた。
(略)
七月八日 雨、少しづゝ晴れてくる。
痔がよくなつた。昨春以来の脱肛が今朝入浴中ほつとりおさまつた、大袈裟にいへば、十五ヶ月間反逆してゐた肉塊が温浴に宥められて、元の古巣に立ち戻つたのである、まだしつくりと落ちつかないので、何だか気持ち悪いけれど、安心のうれしさはある。 とにかく温泉の効験があつた、休養浴泉の甲斐があつたといふものだ、四十日間まんざら遊んではゐなかつたのだ。
(略)
・朝の道をよこぎるや蛇 ・朝しづくの一しづくである (略)
(略)
九月十一日 曇、夕方から雨、ほんとうに今年は風が吹かない。 ふつと眼がさめたのが四時、そのまゝ起きる、御飯をたいて御経をあげて、そしたらやつと夜が明けた。 昨日、隣家の店員から買つた鶏頭を活ける、野趣横溢、日本式の鶏頭が好きだ。
(略)
昨日の今日で頭がわるくない、痔もわるくない、腹も胃も、手も足も、─あゝすこしばかり行乞流転したい。
(略)
お祭りちかい朝の道を大勢で掃いてゆく ・萩の一夜にゆふべの風があつた (略) ・とかくして秋雨となつた (略)
(略)
種田山頭火「死を前にして歩く≪山頭火の本3≫」春陽堂書店 昭和五十四年十二月五日 初版発行から引用
一部原文表記と異なる部分があります。
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