■著者 稲垣足穂(いながきたるほ)
「少年愛の美学」のカバーから引用
ヰタ マキニカリスUより
「★一九二一年(大正一〇)二十一歳で上京、佐藤春夫の知遇を得て執筆活動に入る。☆二十三歳で『一千一秒物語』☆「モダンボーイ」と目され、新人作家として活躍、横光利一・室尾犀星・滝口修造らを知る☆一九三二年(昭和七)明石に帰京、無量光寺に起居。それまでの作品を整理、「ヰタ・マキニカリス」六百枚として浄書☆一九三六年(昭和一一)再び上京したが、しだいに生活が苦しくなる・・・・・・★ヒコーキ野郎たちへ」
「少年愛の美学」 稲垣足穂著 昭和六十一年七月四日初版発行 河出書房新社 のカバーから引用
■「痔の記憶」から
(略)
伊達は黙って笑いながら僕のお喋りを聴いていたが、「でも痔の手術は・・・・・・わたしには覚えがあるが恐ろしく痛いものだ」とだけ洩らした。だから僕には、「その痛さが値打ちでないのかね」とも、「自分にはどんな痔の経験もないが、そこがつまり痔の記憶の所以《ゆえん》である」とも、余計なことに口を出す必要がなかった。神戸新聞の青木繁は単行本「青春と冒険」の中で、僕が痔のために兵隊に行かなかったと書いている。飛んでもない!僕はれっきとした輜重兵であった。「痔の記憶」はしかしよく了解されたことであろう。
(略)
A LITTLE FLOWER−BOY
極端に寸の詰まった
ほとんど桃をかくすか隠さないかの
銀色の畝織のショーツをはいた男の子が
花束を積んだ驢馬を曳いてきて
尾張町のかどで大繁昌
近ごろ姿を見せないので尋ねてみたら
坊やは痔で入院中だとさ
一部原文と表記が異なる部分があります。
筑摩書房「稲垣足穂全集[第十巻]男性における道徳」 稲垣足穂著 萩原幸子編 二〇〇一年七月二十五日 第一刷発行 から引用
■「少年愛の美学」から
「痔」と記載された個所を中心に抜粋します。
○はしがき
(略)
此日どうしてこんな話題になったかと云うと、私は久しぶりに逢った草下君に向って、「君の痔の方は近ごろどうかね」とお見舞の言葉を述べたのだった。これがきっかけになって、客は、こちらは別に訊ねはしないのに、お湯屋の流し場における、彼の痒痔に対するガルガンチュワ的手当の件を持ち出して、「どうもあの時のA感覚には業を感じますね」などと洩らしたのである。
私も又、かねて創作の題名として思いついていた『痔の記憶』を以て、応酬した。たとえば、ムソルグスキーの組曲に『展覧会の絵』というのがある。ヘンリー・ジェームズの小説「ねじの廻転』も題名としては同じ系列だ。ところで、日本人におなじみの痔疾について、僕にはどんな経験もない。ご当人はずいぶん辛くて憂鬱だそうであるが、でも痔というものは、淋病だの消渇だのに較べると、ずっと高尚で、ユーモラスな処があるではないか。いまのスラヴ作曲家の楽譜は、亡友の画家ハルトマンの十種の絵を旋律化したのだとの話であるが、ジェームズの小説は、子供たちにだけそれが見えるという風変わりな幽霊事件である。僕の『痔の記録』にも、痔のことは何も出てこないが、そこがつまり僕自身の"The turn of the
Screw"なのだ。
─たとえば謡曲の、『花月』を、君は知っているか? これは、九州彦山の麓の左衛門というのが、一子花月を天狗にさらわれてから、出家して回国中に、京都の清水寺の境内で我子にめぐり逢う話である。弓矢を携えた喝食《かつしき》すがたの花月がうたい出す詞につれて、彼が七ツの年に天狗に取られて遍歴した山々が、青いフィルムを繰るように覚束なく、しかもまざまざと展開する・・・・・・これはどうか、これなら痔の記憶に加えてもよかろう。
(略)
○第一章 幼少年的ヒップナイド
(略)
古代埃及人の間では、丸い石ころを火中に焼いて、その熱くなった石の上にお尻の割目を当てがってじっとしている風習があったと。痔疾療法である。彼らはまた浣腸器を思い付いた。こういうプリミティヴなやり方を、坐薬だの、直腸鏡だの、拡張器だの、前立腺マッサージ器具等々に発展させたのが西洋医学でないか。それはちょうど古いエトルスクの壺にある宗教儀式の「腸占術」が、ピカソの初期作品『人体解剖図』に取上げられたような具合に─。
(略)
フロイトは云う。「幼年期によくある腸障害は、肛門帯が劇しい興奮に事欠かないように配慮していることを証する。腸内容の排泄地帯の催情的意義について、痔の影響を笑って見逃してはならない」と。私はつけ加えて、「我国に古来から伝わってきたお尻への灸をも、決して軽視すべきではない」と云いたい。西鶴はさすがに芸術家だ。彼は、「女郎にふられての床と、痔の歌舞妓子としめやかに語ると」男色大鑑巻一に比較論を書き入れている。
(略)
Aは排泄を司るところの吐き出しの門戸であるが、Oにおける言語や吹奏とてらし合わせて、あべこべに、此処から何か入り込んでもよいのでなかろうか? ちょうど言葉の出口に向かって食物がおし込まれるのと同じ具合に。総じて子供は自らの皮膚の任意の部分に、適宜に、「第二のエロティック・ゾーン」を作ることにかけては専門家である。すでに赤ん坊は、母親の乳首から離した自身のO部を、「おしゃぶり」の上に持って行くではないか。栄養摂取と結びついたO帯が、たとえば接吻において性愛的に高い価値を賦与されているにも拘らず、ひとり排泄機能に繋がったA帯がそうでないとは、私には不当な抑圧のせいだとしか考えられない。曾て自身の口唇を様々にゆがめて、いぼ痔、切れ痔、脱肛を巧みに表現した芸人がいたということも、私には至極もっともだと思われるのである。
(略)
マルクスが、「口において歴史を解釈しようとしたフロイト」であるならば、フロイトとは、「口の対蹠点」において文化活動を説明しようとしたマルクスである。即ち彼が、Aという最初の、しかも最大の「抑圧的対象」をとらえて、この部位における殆んど生涯的な刺戟感受性の重大さを指摘した点を、私は注意したい。彼の功績はこれで十分で、あとは余計なお喋りだと云ってよい。「肛門本能」「肛門期」あるいは「肛門愛」等々の新造語こそ、それぞれが含有している将来性において、彼の残りの総ての業績に匹敵するのであるまいか? 身辺をかえりみても、「肛」の一字は確かに、幼少年が最初の日に頭に印せられる漢字の一つに属している。「工」はいいとして、そこにくッつけられた「月」はそもそも何の意であろうと、彼らは考えたりするものである。だから、「コウ」の発音さえ見付けたならば、それが何であろうと、「肛」の一字をそこに嵌めてもよいと思われたりしてくる。それ以後において、彼らには「痔」「直腸」「浣腸」「下痢」「坐薬」等々が、(おそらく厠、雪隠、便所も共々に)「肛」の同義語として取扱われるようになる。「外科」とは、その初めは「肛門外科」のことなのだ。たまたま任意の場所に眼にとまった、あるいは字引のページに見付けたそれらの語彙は、彼らの脳裡にとどめられて、それぞれに汲めども尽きない幻想の泉となる。自分の経験中から例を挙げてみよう─
(略)
原文と表記が異なる部分があります。
「少年愛の美学」 稲垣足穂著 昭和六十一年七月四日初版発行 河出書房新社 から引用
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