■野坂昭如 (1930−2015)
早大第一文学部仏文科中退。「火垂るの墓」(直木賞)「エロ事師たち」「骨餓身峠死人葛」「マリリン・モンロー・ノー・リターン」「赫奕たる逆光」「同心円」(吉川英治文学賞)「文壇」(泉鏡花文学賞)などの小説家、「エロトピア」「我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ」(講談社エッセイ賞)などのコラムニスト、「おもちゃのチャチャチャ」(日本レコード大賞童謡賞)「ハトヤの唄」などの作詞家、「黒の舟歌」「バージンブルース」などの歌手、元参議院議員、衆議院選挙新潟三区立候補者、伝永井荷風作「四畳半襖の下張」を雑誌に掲載した編集長(わいせつ文書販売で有罪判決)、討論番組やCMに出演するテレビタレント等々、多面的な活躍で知られた。二〇〇三年五月脳梗塞で倒れてのちもいくつもの連載を持つなど作家活動を続ける。本書には、急逝のわずか数時間前まで取り組んだ絶筆までを収めた。
「絶筆《ぜっぴつ》」 著者 野坂昭如 新潮社 二〇一六年一月二十日 発行のカバーから引用
■エロトピア@
そも生命のリズムなるぞ
旧来の性の倫理に果敢にも挑戦し
我身の体験を赤裸々に切り拓いて
この深奥なる真実に肉迫する男性
必読の性書。奮い立てや、いざ!
「エロトピア@」野坂昭如著 文藝春秋 昭和四十九年八月一日第七刷 のカバーから引用
■エロトピア@
本文
<10>複数姦のおしえ
トルコ風呂、サウナ風呂を理由なく毛ぎらいする、それはたとえば、トルコにおけるスペシャルサービスを、「あれなら自分でやるに如かず」やら、サウナについても「いかにも老人めいている」などヘリクツつけるなど、他のことには好奇心の権化の如くであるのに、この二つを敬遠したがる輩は、まず痔と考えていい。痔もちは、誰がなんといっても、パンツに雲古の残滓が付着するものであって、人前ではちょいと脱ぎにくいのだ。
銭湯の脱衣場で、常にしごく図々しく、出しゃばりたがる男が、片隅にてコソコソ裸となるのも、痔のせいであるし、温泉マークへ首尾よくしけこんで、まるで生娘よろしく、電気消してから裸となるのも、デジイボジキレジハシリジダッコウジロウの、いずれかひっかかえたるしるし。そして彼等が、女房めとる時に、内心いちばんハラハラするのは自らのバッチイ下着を、どう説明し、また洗濯してもらうかという問題についてであって、こういった一連のことがらを考えると、痔もちは、その故に身もちが固いということになる。いわゆる色豪諸氏は、犬のように、きわめてさっぱりした肛門の所有者であるにちがいない。
なぜ、痔のことを述べはじめたかというと、今回のテーマは乱交、複数姦なのだが、小生、やはり人後におちぬ痔もちであって、そのため、ずい分とこのチャンスを、これまでのがしている。
(略)
というところで気がついたのだが、女性にも痔が多いはずなのだが、ありゃ別に関係ないのだろうか。
<16>如何なるさまに相成るか
(略)
デチ棒によって一人、睾丸も考えられるのだが、もしそれ女体が名器であったりしたら、悶絶してしまうから、いちおうはずしておこう。
また出痔いぼ痔の利用も考えめぐらせたのだけれど、いかに壮大ないぼ痔でも、ペニスのかわりにはなりにくいのではあるまいか。
(略)
<18>青い文化財
(略)
とにかく、ブルーフィルムにおいて、女役はすぐにみつかるし、もっていきようによっては、あらゆる女性すべて、カメラの前で営み得るのだが、男役に困る。これが単に、観客の前で、つまりシロクロショウのクロならば、可能な人物に事缺かないのだが、カメラの前で、しかも必ずしも連続しない性の営みを、三時間近く果たし得る男というものは、実に稀なのである。もし読者諸賢の中で、われこそはと思う方がいらしたら、応募していただきたいのだが、条件としては、決して偉大である必要はなく、つまりあまりに巨大であると観客の反感をかってしまう。そして中肉中背、痔でない方、これは、接写の際に、脱肛トサカ痔など、目ざわりだからで、また、入墨や傷跡もない方がいい。
(略)
<49>不潔であるということは
女性においてはいざ知らず、いや男性でもこれは特殊な例なのだろうが、ぼくののみ友達は、きわめて不潔であって、しかもお互い切磋琢磨して、お互いのバッチさを、競い合うというか、水の低きにつく如くとでも申しましょうか、ある個人の特殊な不潔さに、全員が心をそろえてレベルダウンしてしまう。たとえば、ぼくは絶対に歯を磨かない。
何故磨かぬかといわれたって、理由はことさらなく、たしかに戦前は朝起きるとこの習慣に身をまかせていたと思うが、あのなにもかも物資のなくなった時、歯磨きにまつらう品が不足して困った経験もなし、闇市でことさらこの物を扱っていたようにも思えない。
まあ、武士はくわねどではないが、あの時代虫歯のできようもなくて、いかに、現在、乙にすまし、「よく気持ちがわるくないねえ」などのたまう奴も、戦後しばらくは歯を磨かなかったはずだ。その癖が抜けず、しかも近頃は、歯を磨くのに上下でなければならぬという、そういった小ざかしい姿みるとなお腹が立ち、この二十数年歯刷子を手にしていないのだが、そういうわれと、たとえば浦山桐郎という当代の酒乱が、互いにのんだくれて二、三日過ごしたとする。
浦山は、まったく下着をかえるなどという小市民的悪習を超越したところで生きていて、ぼくは、なにしろ痔で、いったんパンツをはけば、たちまち尻にまじわれば黄色くなる道理、やはり二日に一度くらい使い捨てがふつうだが、「そんなあんたね、無駄なことするもんやないで、そら、帽子に雲古ついていたら具合わるいかも知れんけど、パンツに雲古の付着するのは、バラの木にバラの花咲くみたいなもんやないか、不思議ないがな」姫路弁でいい、そういわれるとそんなものかも知れぬ。それまで浦山は、時に思い出したように歯を磨き、顔を洗っていたのだが、お互い補い合って、ぼくは下着を取かえず、彼はわが美習にならって、歯を磨かない。
(略)
<49>隠したき心を探る
(略)
およそ男の劣等感を育成するに当たって、珍宝にまつらうさまざまな現象ほど強大なことはなく、ぼくの痔など、かなりマイナスのはずだが、だからといって、ひがんだりしない。小男が、その弱点をカバーするため、身だしなみを人以上に心くばりしたり、また、病気もちも、これを飼いならしてむしろ長所に仕立てたりするが、短小だけは、その故に当事者を奮起せしめ、大事業成しとげさせたとは、あまりきかない。たいていの立身出世物語の主人公は、巨根の所有者だし、小説家にだって、いろいろ流派があるようだけど、短小派はない。
(略)
発表誌「週刊文春」44年3月17日号―45年4月20日号 連載分
同上「エロトピア@」野坂昭如著 から引用
一部原文表記と異なります。
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