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とぼけた湯治場(井伏鱒二)
とぼけた湯治場

一九五六(昭和三十一)年十一月一日発行『旅』(日本交通公社)第三十巻第十一号(十一月号)に発表。
要害温泉、下部温泉の写真三葉とともに掲載。


■井伏鱒二(いぶせますじ)


本名・満寿二。明治三十一年(一八九八)、広島県に生まれる。早稲田大学、日本美術学校を中退。昭和四年「山椒魚」、「屋根の上のサワン」で文壇に認められる。昭和十三年『ジョン万次郎漂流記』により直木賞を受賞。「鯉」「さざなみ軍記」「多甚古村」「丹下氏邸」「本日休診」(読売文学賞)「遥拝隊長」「集金旅行」「漂民宇三郎」(芸術院賞)「武州鉢形城」「黒い雨」(野間文芸賞)などの小説の他、詩集『厄除け詩集』、随筆・紀行も数多い。平成五年七月死去。
(中公文庫「珍品堂主人」井伏鱒二著 中央公論新社 2003年1月25日11刷発行 のカバーから引用)



■とぼけた湯治場 ―要害温泉と下部温泉―


 今年の夏は、神経痛と
のために世話のやける思いをした。今ではもうすっかりよくなったが、私の走りというやつで出血も実に派手なものであった。発病一週間のうちに、血圧が百四十から百二十に下り、手術をすればいいと医者に云われたが、輸血しなければいけないとなると肝臓もやられるかもしれないので温泉で療養することにした。私は長いあいだ酒を飲んで来たので肝臓に負担をかけている筈だ。私の肉体はガタガタ自動車のようなものだと思っている。
 観光案内のパンフレットを見ると、「冷えから来る病気、神経痛、リュウマチに特効」と書いてある温泉は、たいてい交通の不便なところにある。しかし病気の身で遠距離のところや辺鄙なところへ出かけるのは気がすすまない。なるべく近いところに行くことにしたが、どの温泉にきめたらいいか迷った末、去年の夏、神経痛で湯治した甲州の要害温泉に行くことにして、部屋があるかどうか知人に問い合わせてもらった。去年この温泉で一週間入浴して神経痛が治ったので、
にも特効があるのでなかろうかという期待があった。去年、私は甲州を旅行中、重い靴を持って甲府の町を歩いていて、いきなり神経痛になったので、家内に
電話をかけてすぐ看護に来てもらい、町の近くの要害山という山の中腹にあるその温泉宿に行った。折りからリュウマチ患者や神経痛の患者で部屋が塞がっていたが私は紹介者があったので泊めてもらうことが出来た。

(略)

「井伏鱒二全集第十九巻」 井伏鱒二著 筑摩書房 一九九七年十一月二十五日初版第一刷発行 から引用

一部原文表記と異なるところがあります。


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