スカトロジア

スカトロジア糞尿譚(山田稔)
■スカトロジア 糞尿譚
「我々にとってもっとも身近なものでありながら、文字通り「汚物」の如く嫌われ、軽蔑され、嘲笑されている存在─それはウンコとオシッコ。かくも不当な扱いを受けている糞尿の市民権を獲得すべく、ラブレーから谷崎まで古今東西の文献を渉漁し、ウン畜を傾けて展開されるクソリアリズムエッセイ!」

(「スカトロジア 糞尿譚」山田稔著 福武文庫 カバーから引用)

■山田 稔(やまだ みのる)
1930年、福岡県門司市(現北九州市)生まれ。
53年。京都大学文学部卒業。元京都大学教授。
フランス文学者、作家。
主な著書に
『コーマルタン界隈』
『シネマのある風景』(以上みすず書房)、
『影とささやき』『生の傾き』
『太陽の門をくぐって』(以上、編集工房ノア)、
『スカトロジア』(福武文庫)、
『ああ、そうかね』(京都新聞社)など。
おもな訳書に、
アレー『悪魔の愉しみ』
『フィリップ傑作短篇集』(以上、福武文庫)、
グルニエ『チェーホフの感じ』
『フラゴナールの婚約者』『黒いピエロ』
(以上、みすず書房)など。

平凡社ライブラリー311「特別な一日」山田稔著 平凡社 1999年11月15日 初版第1刷 カバーから引用


■「スカトロジア 糞尿譚」

」の記載がある箇所を中心に引用します。

(略)

○尻を拭く話

(略)

 こうして先日もさる友人から「ウンコの話の続きを書いたか」とたずねられた私は、「いや実はまたなんや、どうも最近ずっとフンづまりでね」とごまかしておいたのだが、この、ウンコが出ないからウンコの話が書けぬというのは、駄洒落とはいえ口実としてはまったく落第であった。というのは、つらつら思うに、私がウンコに興味をいだきはじめた深い動機はどうやら、ウンコが出ない、つまり便秘にあるらしいのであって、毎朝の快便を日常茶飯事の習慣とする人には何でもないことが、便秘症の私にとっては生活上の小さからぬ出来事なのである。それにすでにのべたように、一般に便秘が因で
を悪くするという、私もまたその例にもれぬを病む男の一人であるから、自分のウンコにたいする気の用い方は、健康人の想像を絶するばかりである。ウンコが固すぎると、出血はしまいかと案じ、下痢気味だと
脱肛をおそれる、そうした便所内での一喜一憂がいつのまにやら私の関心を尻の穴へと向けさせていったにちがいない。とはいえ、私はいまだかつて自分の病める肛門を微細に観察したことはなく、その未知性が私の好奇心をそそると同時に、それを持続させてくれるもののように思うのであるが、先日、新聞のの薬の広告文をよんでいると、「あなたは御自分の肛門の内側をごらんになったことがありますか云々」といったような文句があって、内側どころか外側すらじっくり観察したことのない私を不安におとしいれたものである。

(略)

 を病む男(女)の関心事は下着から食物、便所の構造など、生活の全体におよんでいるといって過言であるまいが、便所に関していえば紙の質を無視することはできない。人は何で尻を拭くか?

(略)

○T外科病院にて─
よ、さようなら

 すでにのべたように、私のスカトロジアへの深い動機は何よりもまず
にあり、その苦痛ゆえに私の関心は尻の穴へむけられるのであった。しかし、「苦痛」といっても、私にはその苦痛になれ親しんでいる向きがあり、の治療を空しくこころみつつも、内心ではその全治をひそかにおそれるといった心理がはたらいていたように思われるのだ。しかし、そんな悠長なことはいっておれぬ事態が生じた。激痛にたえかねて、一九六五年二月二十四日、私はの手術を受けたのである。

(略)

 看護婦の指図どおり、十一時ごろ病院に着いた。手術も入院も全くはじめてなので、事がどのように運ぶのか見当がつかない。

(略)

 看護婦にたずねると、部屋が空くまでもう少し待つようにという。今日、だれかが退院したその後のベッドに私が入るのだ。事実、待っている間にも退院組の姿は見られた。それは、入院の経験のない私にはちょっとした引越しさわぎと映った。蒲団、七輪、炭俵、鍋、釜、食器その他、それに数人の身内のもの。ところが私は手ぶら同然で、ひとりつくねんと人気のない待合室の椅子に痛む尻の穴を押しつけている。持物は日ごろ用いている手提カバンだけ。そのなかに入っているものといえば洗面具、下着のかえ、寝巻、そしてあのいまいましいセリーヌの『夜の果ての旅』一巻だけなのだ(私は
の手術の後で、セリーヌを読むつもりでいたのである!)。さらに、病院からの指示によってT字帯なるものが数枚。電話で看護婦がフンドシを数枚といったのである。「フンドシ?」「ええ、普通のフンドシでけっこうです」「普通のフンドシ?それ、薬局か何かで売ってるんですか?」「いえ、お宅にあるのでけっこうです」「はあ?」お宅にあるやつって、普通の家庭にそんなものがあるのか、と私はうろたえた。そのとき、以前にの手術をした高橋和巳がオシメをして泣いているという噂を耳にしたのを思いだした。つまりこれは手術の後で局部をおさえておくためのものであるから、かならずしもフンドシでなくてもよかろう。そこで私は、こんな経験はめったにないことだゾと自らに言いきかせつつ、思案のすえ薬局に出かけてT字帯なるもを買いもとめたのである。

(略)

 さて、やっと私が案内された病室は、西向きのせまい相部屋だった。私はなにも、映画に出てくるような、白いリノリューム張りの明るい病室を予想していたのではない。しかし、ドアを開けた瞬間、私は思わずたじろいだ。陰気というより陰惨にちかい部屋の雰囲気。

(略)

 私は見知らぬよその家へわりこむ人間のように、多少おびえながら入室の挨拶を一言のべた。
 「胃どすか?」
 「いいえ、
です・・・・・・」
 「
どすか」
 メガネはさも軽蔑したようにそういって、そのままわずか一日早く入院した彼らは、先住権を主張しているかのようだ。私は一個の闖入者、招かざる客である。Tは腸閉塞で前夜腸の一部を切り取ったところであった。
 病室が決定してそこの一員としておさまるまでに、私はどれほど気まずい思いをしたことか。私は病人であり、病人ではない。Tのように激痛に身もだえしながら病院にかつぎこまれたのでなく、背広にネクタイ姿で、通勤用のカバンをさげてぶらりとやってきたのだ。そしていま、私はこの病室のなかで、どのようにふるまってよいか全く途方に暮れているのである。(略)

(略)

 仕方なく私は用もないのに廊下を往き来したり、階下へ降りて、なるべく看護婦の注意をひくよう受付のあたりをうろついたりして、この宙ぶらりんの状態をごまかそうとつとめることになる。ときどき部屋へもどって、おれは患者だぞと自他に証明しようとこころみた。一度は、シーツをとりかえに来ていた雑役のおばさんの手伝いまでした。するとおばさんは、患者はんはどこにいやはるんどす? と私にたずねた。
 そのうちに、病院を通じて頼んでおいた付添のおばさんがやってき来て、私を窮地から救ってくれた。

(略)

 やっと看護婦が呼びに来た。下着を脱いで、寝巻き一枚で来るようにという。さあ、いよいよ始まるぞ、と、はやる心のときめきを抑えながら階下へおりる。しかし、私が案内されたのは、控えの間の黒い皮を張った固いベッドの上であった。診察室との間を簡単にカーテンで仕切ってある。若い、小柄な、人のよさそうな看護婦(彼女には「威厳」が感じられなかった)は、私をベッドに仰向けに寝させると、下を脱ぐようにいった(私はパジャマを着ている)。もう手術のプロセスに入っているつもりの私が、消毒か麻酔でもするのだろうと思ったのは当然であろう。するとそのとき、彼女はやや声を落して、「テイモウします」といったのである。「?・・・・・・」テイモウ? 目顔でたずねかける私にたいして彼女はちょっと照れたように微笑した。とたんに私の頭には「剃毛」という漢字がひらめいたのである。私も微笑した。しかしそれは照れたのでも羞恥を感じたのでもなく、ただおかしかったからにすぎない。テイモウ、テイモウ、心のうちでくり返しながら、私は腹筋が笑いでこまかくふるえそうになるのを懸命にこらえた。「毛をそる」という、言う方にも言われる方にも恥ずかしい表現を避けて、「テイモウ」という、耳できいて最初とまどうような漢語を用いる、その苦心のほどは察しられるとはいえ、「剃毛」なんて、まるで坊主になるようではないか。しかもそれを言うのがうら若い、かわいらしいといってもよい看護婦なのである。

(略)

 脊髄に注射して下半身麻酔が行われる。ベッドに仰向きに寝かされ、股を開いて足を高く宙吊りにさせる。ちまりこれがある友人がいった「産婦人科における屈辱的姿勢」というやつであろう。しかしいまの私には、それはいささかも屈辱的あるいは恥辱的に思われないのである。十年ほど前、はじめて医者に
を診てもらったとき、私は看護婦の前でパンツを脱ぎ尻を露出させることに非常な恥ずかしさをおぼえたものだが、それ以来、尻についての私の意識は徐々に変化してきたらしい。「剃毛」のときも、半裸の姿で看護婦たちの前に現れたときも、また股を開いて宙吊りされたいまも、私はすこしも恥ずかしくないのである。

(略)

 私は患部に何物かが触れるのをかすかに感じる。その接触感は、まるで触れられているのが自分の肉体の一部でないかのように、妙にそらぞらしい。距離のある接触感、あるいは感覚の遠いこだまのようだ。やがて鋏の音がきこえはじめる切られる感覚はともなわず、ただ音だけが伝わってくる。。チョキン、チョキン。私はそれを、どこか遠くで枝を摘む植木屋の鋏の音のように聞いている。

(略)

 こうして三十分間ほどで手術は終り、私は看護婦によって病室へかつぎこまれた。

(略)

 ところどころで見舞客らしいのが立ちどまって、不安と同情のいりまじった表情で私たちを見送っている。しかし私自身は、手をふってこたえてやりたいほどの浮かれた気分にひたっている。これでは看護婦たちに胴上げされているみたいではないか─要するに、私は手術の間じゅう上機嫌だったのである。

(略)

 それ以来、三日三晩、私は激痛にうめいた。
 
の手術の痛いことは多くの人からきかされていて、手術中は陽気だった私はといえども、麻酔のきれると同時に襲ってくるであろう痛みへの心構えは忘れてはいなかったつもりだ。手術の行われた晩は、十一時ころ、看護婦が鎮痛か催眠の注射をしてくれたおかげで、まもなく眠りこんだ。夜中の三時半ころ、私は痛みで目をさました。しかしその痛みはほぼ覚悟していた程度のもので、私は歯をくいしばってがまんした。翌日はややおさまり、日中は週刊誌を読んだり、雑談するくらいのゆとりがでた。その翌日もそうだった。私はハガキに、戦争中に耐えることを慣らされた自分は、の手術の痛みにも耐えられたといった冗談めいたことを書き送ったりした。私は内心得意だったのだ。しかし、やがて私はをあなどっていたことを思い知らされることになる。それはもう峠をこしたものと安心していた三日目の晩に私を襲った。

(略)

 このようにして病院での時間が流れてゆく。私の日々は日常生活の外にカッコにくくられ、退屈ではあるが平穏のうちに過ぎていく。休息というものを私は生まれてはじめて味わう思いだ。傷口の激痛も、治癒の一過程としてうけいれる覚悟でいれば耐えられぬものではない。しかし全く別種の悩みが待伏せていることを私は知らなかったのである。
 健康なあなたは、小便が出るということに、歓喜と感謝の念をいだいたことがあるだろうか。手術の翌日から流動食をゆるされた私は、当然のことながら、やがて小便がしたくなる。ベッドの中で尿瓶を股にはさみ、おそるおそるきばってみる。一滴も出ない。そのときのおどろき、あせりをどう表現したらいいか。膀胱のあたりをおさえてみてもだめだ。出そうな気はするが、もうちょっとのところでどうしても出ない。いくらペダルをふんでもエンジンのかからぬオートバイの歯がゆさだ。肛門の痛みが膀胱の筋肉を極度に緊張させるので、「水門」が開かないのである。しかし放置しておくと、しだいに小便がたまってきて下腹が張ったような不快感がつのってくる。結局、看護婦にたのんで、ゴム管でくみ出してもらうことになった。若い看護婦は「これくらいなら出るはずやがな」とぶつぶついいながら仕事にかかった。まるで私が小便をサボッているみたいである。

(略)

 玄関で、「テイモウ」をしてくれた看護婦─私に威厳を感じさせなかった唯一の看護婦が見送ってくれた。私はおかしさが腹の底にかるくゆれはじめるのをおぼえる。共犯意識に似た親愛感だ。私は彼女にほほえみかける。すると、彼女の顔にも、たぶん私のとまったく同じ微笑がうかぶ。私はかるく手をふり、病院の前に待っている車へ、はうようにして乗りこむ。
よ、さようなら。
 

同上「スカトロジア 糞尿譚」から引用

 一部原文表記と異なる部分があります。


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