■「作家の花道」 お金もコネも学歴もないけど、それでも作家になりた〜い!!大いなる野望を胸に秘め"銀座の女"で糊口をしのぎ、ついに文壇デビューを果たしたご存知ムロイの体当たりエッセイ。酒と煙草と過食にまみれながら待望の処女作刊行にこぎつけるまでの「六本木野望篇」。その後の人生を大きく変えた電撃結婚、出産までをつづった「栄光への序曲篇」。なせば成る、なさねば成らぬ。ただいま花道邁進中!
集英社文庫「作家の花道」 室井佑月著 2003年6月17日第2刷 カバーから引用
■[著者]室井佑月(むろい・ゆづき) 一九七〇年二月二七日青森県生まれ。モデルなどさまざまな職業を経て、 九七年「クレセント」を発表して作家デビュー。著書に「熱帯植物園」「Piss」「ラブゴーゴー」「ドラゴンフライ」などがある。
同上「作家の花道」カバーから引用
■作家の花道
「痔」と書かれた箇所を中心に引用します。
「栄光への序曲篇」(一九九九年二月〜二〇〇〇年九月)
「作家・生態系ピラミッド」
(略)
そうそう、もうひとつ自慢するのを忘れていた。トイレの便座にはウォシュレットがついているのだ。痔は文筆業者の大敵だと聞く。いくら売れっ子になっても、女としての幸せを捨てては仕方ない。一流の女流作家は一流の男をつかまえているような気がする。あたしもそうありたい。映画のような、いや、間違い、小説に出てくるような最高の恋愛を、と願っているのに、肛門から腸が飛び出ていては王子様も興ざめだろう。
(略)
「尻の野薔薇」
(略)
痔が痛い。妊娠したら強力な便秘になって、痔が発病(と、いうのかな?)した。いや、妊娠はきっかけにすぎない。物書きとしてデビューして三年、印税生活の億万長者を夢見て、もとい、世知辛い世の中で人々の心の拠《よ》りどころになれるよう、身を粉にしてがんばってきた。
ある妊婦雑誌に書かれていた。「妊婦の大きなお腹は、子孫繁栄のためにがんばっている、女の勲章なのです」と。ならば痔は、清く正しく真っ直ぐな心で芸術に挑む、物書きの勲章ともいえるのではないだろうか。だから、あたしは胸をはっていおう。
「痔になりました」
と。大声で空に向かって叫ぼう。
「痔に市民権を!」
と。どうして? 風邪とか、花粉症とか、外反母趾は告白できるのに、痔は黙ってないといけないの? 犯罪でも犯したように下を向いて生きていかなきゃいけないの? "ヒサヤ大黒堂"が悪い。日本でいちばん有名な痔の薬の会社、いってみれば痔のオピニオンリーダーじゃない。なのに、
「誰にもわからないように梱包し、お届けいたします」
って、いったいどうしてだ? なんで痔持ちの人間に劣等感を植えつける? リーダーとして、痔をファッションにしてしまうぐらいの意気込みが欲しいよ。だいたい成人した日本人の約七割に痔の気がある。(ほんとうか?)と聞く。だったら、痔じゃない人間のほうが背中を丸めて生きてゆくべきだ。
(略)
風呂に入り、素っ裸になったあたしは、鏡の前でお尻のほっぺを左右に押し開いてみた。暗い谷間の奥底に、野薔薇が一輪、いまにも開こうとしておりました。紅い蕾・・・・・・その小指の爪の先ほどの姿は儚く、しかし凛とした気高さのようなものを持ち合わせているのです。
うつくしい。
あたしは花びらを壊さないよう、そっと人差し指の腹で撫でました。
「痛、痛、くそっ、痛えっつーんだよ」
飛び上がりながら、ダーリンの仕事部屋へ走った。
オールヌードのあたしを見て、ダーリンはぎょっとした。
「パンツぐらい穿いてきなさい!」
(略)
あたしはダーリンにお尻を向けた。両手で、谷間を開いた。ダーリンは、顔を伏せ、
「しまいなさい!」
「いや、現実の世界にも、きれいで悲しいものがあると証明する。それはあたしが持っている」
「早くしまいなさい!」
しばらくいい合いになった。
「いいから見て!」
あたしは大声を出した。ダーリンはそろそろと顔を上げた。
「あっ、痔だ」
(略)
"きれいで悲しい持ち物"を持ったあたしは、うつくしく哀しい笑みを浮かべるしかなかった。
痔・・・・・・。それ自体、あたしはまったく恥ずかしいと思わない。あたしの持ち物は愛らしい形をしているし。痔・・・・・・。けれど、その汚らしいネーミングがいけない。
『栄光のエムブレム』
尻の野薔薇を、そう呼んではいけないだろうか? アイスホッケーの青春映画に、そんなタイトルのものがあった。
(略)
同上 「作家の花道」 から引用。
原文表記と一部異なります。
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