恋焦がれた直木賞。紆余曲折はあったけど、ついに雪辱、祝受賞。その前後の喜怒哀楽を、ときに格調高く、そしてときに下品に綴った貴重な記録の傑作エッセイ。他人の弱点を笑いとばし、自らの身を嘆息する。しかし我が道を信じ邁進し、手に入れたのが売れっ子作家の誉れと超多忙。力みなぎるエッセイ集。
講談社文庫「勇気凛凛《ゆうきりんりん》ルリの色《いろ》 福音《ふくいん》について」 浅田次郎《あさだじろう》著 2003年1月10日第6刷 カバーから引用
[著者]浅田次郎
1951年東京都生まれ。1955年『地下鉄《メトロ》に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄道員《ぽっぽや》』で直木賞。2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞を受賞する。著書は『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『シェエラザード』『薔薇盗人』など多数ある。また、エッセイ『勇気凛凛ルリの色』シリーズも好評。
同上 「勇気凛凛ルリの色 福音について」 の奥付から引用
■「勇気凛凛ルリの色 福音について」の中から「改宗について」
トイレを和式から洋式へと宗旨替えするというお話です。「痔」が関係しています。「痔」と書かれている箇所を中心に以下抜粋します。
改宗について
人生四十五年にして、ついに踏絵《ふみえ》を踏み、宗旨を改めた。
で、今回はおごそかな話をする。
(略)
昨年、バブル系新居を入手した。派手こそ美徳と信じて疑わぬ私にとって、まことに趣味に叶う家である。
この新居にはトイレが三カ所ある。それがあろうことか、三つとも洋式便座なのであった。
私はかねてより洋式便座を呪っていた。他人がペタリとケツをつけた便器に、我がケツが触れるという、その節度のなさが許し難かった。なおかつ、ここ一番のいきみがきかぬことが、ガマンならなかった。
自衛隊奉職以来、私の脱糞にはいささかもゆるがせにできぬ作法があった。
便意が兆《きざ》したとみるや、まずトイレの前にズボンとパンツを「姿脱ぎ」にいたし、下半身を自由にして入室する。
おもむろに蹲踞《そんきょ》し、トイレット・ペーパーで便座のきんかくしを包み、両のたなごころにてシッカリと把握する。
しかるのち、気の横溢《おういつ》、肉の緊迫を心静かに待ち、時至るや機を失せずに「エイヤッ」と一気呵成に脱糞する。
(略)
そうこう揉めるうちにも、便意は容赦なく兆してくる。いたしかたなく、当面はホテル式に、タンクを抱いて前向き蹲踞の姿勢を取るほかなかった。
(略)
論争になった。私は、日本の文化と伝統を心より愛し、シンプルかつプリミティブな和式きんかくしこそ最善最高の便器であると主張した。
(略)
数日間、新たなる宗教の教義を覗き見るように、「ウォシュレット便座」を試してみたのである。
さまざまの利点に気付いた。
まず、トイレの前にパンツの姿脱ぎをしなくて良い。
気合は入らぬが、そのぶんジックリと構えることができ、足がシビれることもない。
そして、これが最大の長所だと思ったのであるが、用便後の洗浄と乾燥は、すこぶる痔に良い。
筆は滑りに滑り、ヤバいと思いつつ露悪する。実は私、痔主である。売れぬ小説を文机《ふづくえ》で書き続けた結果、大痔主になった。しかし医者に通わねばならぬというほどではなく、仕事の無理が重なると発作的に痔主となるのである。
痔は痛い。発作中、便法により一気呵成に脱糞するときなど、「エイヤッ!」でなく、「キエェ〜〜イ!」というような悲鳴を上げるほどである。しかるのち、ペーパーで拭うときの痛さと言ったら、今このとき地球が破滅すれば良いと思うほどである。
便器の実験中、折しも痔が出ていたことが、私の改宗を決定づけた。
かつて私は本稿において、「便座について」を書き、洋式便所をあしざまに罵っている。同意見の読者から、ファン・レターまでいただいた。
四十五年間も信じ続けてきた宗旨を今さら改めることは、もとより本意ではない。痔のせいにするのは卑怯であると思う。
しかし、歴史に対する反動的行為とまで言われ、出先においてもその現実を確認せざるを得ぬ今日、私は耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んで、踏絵を踏む。
こうして私は、四十五年間、信じて疑わなかった宗旨をついに改めた。
世界の一部が、明らかに変わった。
どう変わったかと言うと、またまた筆の滑りにまかせて露悪するが、おごそかに聞いていただきたい。
寸暇《すんか》をも惜しみ、トイレの中まで仕事を持ちこむようになったのである。様式便座は仕事もできる。
この原稿、実はトイレで書きおえた。
同上 講談社文庫「勇気凛凛ルリの色 福音について」 浅田次郎著 から引用
《 》はルビ。また、一部原文表記と異なる部分があります。
|