『譚海』は、津村淙庵の編んだ見聞随録である。寛政七年夏に二十年間の筆録をとりまとめたものである。
著者津村淙庵は、京都に生まれたが、江戸に移り伝馬町に居住して、佐竹候(秋田)の御用達をつとめた。江戸の歌人として聞えた。文化三年五月没。享年未詳だが、七十歳は越していたらしい。経歴も詳しいことは伝わらない。
三一書房「日本庶民生活史料集成 第八巻 見聞記」 竹内利美、平山敏治郎編 一九六九年十一月三十日 第一刷発行 の解題から一部抜粋
■譚海
「痔」と書「かれている個所を抜粋します。
巻の九
同所(羽州)仙北群辻堂猫の怪の事
○仙北群の人薪を伐て山より帰る時、夕になりて雨降出たれば、辻堂の縁に雨やどりせしが、堂の中人音きこえてにぎはしく、しばし有て太郎婆々いまだ来らず、こたびの躍出来がたからんなどいふ声せしに、又しばし有て、婆々来れりとて、をどりはじめむといふ。婆々のいふやう、しばし待たまへ、人やあるとて、堂の格子の穴より尾をいだし、かきまはしたるを、此男尾をとらへて外より引たるに、内には引入んとこづむにあはせて、尾を引きりてもたりければ、おそろしく成て雨のはるゝをもまたず、家に帰りて此尾をばふかく蔵置たり。そののち隣家の太郎平なるもの、母痔おこりたりとてうちふしてあるよし。此男見廻に行て見れば、誠に心わろく見へける、いかにといへば痔のいたむよしをいふ。あやしくて夕に又件の尾を懐にかくして見廻に行てければ、なほ心あしとて居たりしかば、それは此やうな事のわづらひにてはなきやと、尾を引出して見せければ、此母尾をかなぐりとりて、母屋をけやぶりてうせぬ。猫の化たるにてありける、誠の母の骨は年へたるさまにて、天井にありけるとぞ。
巻の十五
諸病妙薬聞書
○痔疾には、芝増上寺地中淡島明神の社より出す青き油薬奇効有、痛所に指にてぬりて吉。
○又なめくじりを胡麻油にひたし置時は、とろけて白き油に成なり、それを付れば痛を去る。冬月なめくじりを得んとせば、山林の落葉の下を捜すべし。
○腰ひえ又は痔等に用るあらひ薬
紅花・黄柏・枳穀各二両・艾薬五両、但よもぎのは陰干しにてもよし。甘草一両
右五味を水一升入て煎る也、是一番せんじ也。二番せんじ五升ほどにする也、三番せんじ三升ほどになるをまつて用る也。
但、一ばんせんじ、二番せんじ、三番せんじの度ごとに、酒と塩とを茶わんに一盃づつ入て、せんじあげ用る也。
○痔のくすり
芝増上寺地中淡島明神の社ある寺にて、売所のあぶらぐすり、もちゐてきみやう也。指にてぬるくすり也。
○又一方
ねぶの木の皮をさりて、其内にあるあま皮を陰干にして、夫をせんじたる汁にて、あま酒をつくりて飲べし。
○又一方
腰ひえに用ゆ、あらひ薬よし。
○又一方
なめくじりを胡麻の油にひたしておけば、とけて白き油になる也。それを痔のいたむ時つけてよし。但冬なめくじりを求るには、竹藪の落葉をかき分てさがす時は多くある也。
○又一方
無花果和名いちじく蛇退皮、
右二味黒焼にして、極上の麝香少計くはへ、きぬの切れにつゝみて、痔のところへおしあてあて置ときは、治する也。
○又一方
キョウロウ(虫偏に羌(異体字)、虫偏に良)の黒焼、ごまのあぶらにて付てよし。
○又一方
芝太好庵のめぐすりを付てよし。
○又一方
しゞみ貝のせんじ汁にて、あらひてよし。
○又一方
寒中五寸ぐらゐの鮒、いきたるまゝにて五倍子の粉にまぶし、黒焼にしたるを細末にして、寒中余寒をかけて、まいてう空腹にさゆにて服すべし。
○きれぢ、はしり血には
青のりを銭のまはりほどにして、火にあぶり、少しおはぐろをあつくわかしたるを、右の青のりへかけて痛所へ付れば、一日の内になほる事也。
同上「日本庶民生活史料集成 第八巻 見聞記」から引用
多くの旧漢字は、新漢字に改めています。
また、一部は原文表記と異なります。
|