[著者]萩原葉子 はぎわら ようこ (1920〜2005年)
小説家、エッセイスト。代表作:「父・萩原朔太郎」、「天上の花」、「蕁麻の家」など
(ウィキペディアより引用)
【萩原朔太郎】
はぎわら さくたろう (1886〜1942年)
詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。
(ウィキペディアより引用)
筑摩書房「父・萩原朔太郎」 萩原葉子著 昭和五十二年十二月三十日 新版五刷発行 から引用
萩原朔太郎は、痔だった。痔の記述のある個所を引用します。
■「父・萩原朔太郎」
(略)
「こんなに悪いのに! だから言わないことじゃないよ、自分で自分の体をちっとも大事にしないんだからねえ。」
怒りと、思いやりを交互に混じえたことばを吐きながら、父が痔ろうのため、点々と落した真赤な血の跡始末しているのだった。
私も父が、さぞ苦しかったであろうと思われる血を落した後に出合って、びっくりして入口で立ちすくむ時があった。
余程、悪い時なのであろう、蒲団に腹這いになったまま、しばらく、休んでいるが、そうした時でもたいていは、飲みに行ってしまうのだった。
この頃、他の白い洗濯物に混じって、見なれない黒い大きな女物のブルマーが干してあるのをよく見た。(祖母が嫌がる父に汚すからと無理にはかせていたのだった。)
(略)
「おっかさん、もう少したのむよ」と父は困ったように言う。祖母は、
「いくらあったって、どうせ水みたいに飲んでしまうんだろう? 痔がわるいのに、だいいち身体に毒だよ。」
「それにチップだかなんだか知らないけど、あんなもの女に取られるのばかばかしいじゃないかね。今夜はこれだけで早く帰っておいでよ」と決めつけるようにいうのだった。
(略)
茶の間の戸棚には、父が考案した据付けの引出しが幾つも並んでいて、一つ一つ名前がつけてあった。
「朔太郎の前掛け」の隣の引出しには「朔太郎のくすり」と貼ってあったが、ここは父専用の売薬ばかりが入っていた。家の者の薬は別の引出しにほんの少し入っているだけだった。
売薬が入れてある引出しは、二階の手品の道具の入っている引出しの隣にもあったがどちらにも、つかえて開かないほどたくさん、ごちゃごちゃ入れてあった。ラボカ、エビオス、ジャスターゼ、ノクテナール、アダリン、カルモチン、痔の坐薬、ラキサトールなど幾種類も入っていた。
(略)
翌朝遅くなって、父は血の気の淀んだ苦しそうな顔で、左足をひきずって降りてきた。私はびっくりしてわけを聞くと、
「いや、何でもないよ」とてれたようないつもの顔をすると、父は売薬の入れてある引出しを開けて、薬をいそがしくさがした。台所にいた祖母は、さっそく父を見つけると、ゆうべは痔がわるいというのにあの寒さに、いつまで待っても帰って来ないで・・・・・・と機嫌悪くいいながら、父の様子に気づくと、
「また、火傷《やけど》したんだね! そんなにひどいんじゃ、すぐにお医者に行かなくてはだめだよ」と、メンソレータムをつけている父の足元をのぞきこんでいうのだった。父のきんと尖ったアキレス腱のすぐ上は恐ろしいほど赤黒く火ぶくれした皮膚に変わっていた。
(略)
昭和十五、六年ころから、父は痔がかなりひどくなり、そのためか夜など同じ電車に乗り合わせたりするとき、座席の向うに意外に老いた父を見て、ことばもかけられないほど寂しく思うことがあった。
(略)
《 》内は、ルビ
その他原文表記と異なる個所があります。
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