痔の散歩道 痔という文化

貧困旅行記(つげ義春)
日々鬱陶しく息苦しく、そんな日常や現世から、人知れずそっと蒸発してみたい─やむにやまれぬ漂泊の思いを胸に、鄙びた温泉宿をめぐり、人影途絶えた街道で、夕闇よぎる風音を聞く。窓辺の洗濯物や場末のストリップ小屋に郷愁を感じ、俯きかげんの女や寂しげな男の背に共感を覚える・・・・・・。主に昭和40年代から50年代を、眺め、佇み、感じながら旅した、つげ式紀行エッセイの決定版。

新潮文庫「新版 貧困旅行記《ひんこんりよこうき》」つげ義春《よしはる》著 新潮社 平成七年四月一日発行 のカバーから引用

■つげ義春 Tsuge Yoshiharu
1937(昭和12)年、東京葛飾区生れ。小学校卒業と同時に、兄の勤め先のメッキ工場に見習工として就職する。そのかたわら、マンガ家を志し、16歳で実質的なデビュー。1965年頃から、雑誌「ガロ」に「沼」「チーコ」などの作品を発表し、注目を集める。代表作に「ねじ式」「紅い花」「無能の人」などがある。「つげ義春全集」(全8巻・別巻1、筑摩書房)が刊行されている。

同上「新版 貧困旅行記」 のカバーから引用


 この「貧困旅行記」の中から、「旅籠の思い出」と「旅年譜」の章に書かれている「
」を中心に下記に引用します。


「旅籠の思い出」の中の「旅《たび》の女」昭和42年10月旅

 青森県と秋田県にまたがる八幡平《はちまんたい》へ温泉めぐりに行ったとき、蒸《ふけ》ノ湯《ゆ》のオンドル小屋に泊った私は、湯当りをしてしまった。オンドル小屋というのは、温泉の地熱の伝わる地面の上に小屋を建てたもので、その小屋の中が宿泊所にもなっており、熱い地面にむしろを敷いて毛布をかぶって寝る式になっている。

 硫黄臭の強い蒸気の噴き出すそこへ泊った私は、ひと晩中蒸し風呂に入っていたようなもので大汗をかき、そのあと軽い目まいや吐き気を覚えた。いきなりそういう強烈な入浴法をしたために湯当りしたのだったが、そうとは知らず、気分の悪いままそのあとも旅を続けた。
 
 角館《かくのだて》に泊り、小安《おやす》温泉に泊り、さらに南下して会津へ向かおうとしたが、どうにも気分の悪さは収まらず我慢ならず米沢《よねざわ》に下車した。そして何処でもいいから早く宿を見つけて横になりたいと思った。

 そのとき泊った宿の名前は今は思い出すことはできないが、駅前の道を真直ぐ行くと二俣《ふたまた》に別れ、右へ少し行くとおそろしく貧しげな旅籠屋があり、そこへころがり込んだ。宿屋というにはおこがましいほどのボロ宿なのに、玄関の土間に立って値段を聞くと、一泊千四百円と云われた。ほかを探す気力もないので泊ることに決めたが、婆さんに案内され奥の方へ廊下を行くと、障子を大きく開け放った部屋に泊り客がおり、目が合ったのでちょっと会釈《えしやく》をして通りすぎた。

 その客は五十年配のザラっとした不精ヒゲを生やした男と、ちょっと男好きのする三十代の女だった。二人は卓を挟《はさ》んで坐《すわ》り、男は作業着のようなジャンパーを着ており、女は浴衣《ゆかた》のまま卓にもたれ、尻を後方に突き出すようにだらしない格好で坐っていた。部屋の隅に唐草模様の大きな風呂敷《ふろしき》包みが置いてあるので、私は行商人夫婦かと思った。

(略)

 手拭《てぬぐい》を下げ、また行商人夫婦の部屋の前を通ると、女の方は座布団《ざぶとん》を二枚並べ横になっていた。男は卓に伝票を並べ何かメモをしている。先客の彼らより先に風呂を使うのは悪い気がした。多分宿代の高さから推して私のほうが上客だったのだろう。婆さんは宿代をふっかけた後ろめたさで変に愛想が好く、風呂場の前でちょっと立ち止り、あの二人は夫婦じゃないと、私の歓心をひくようなことを云い卑屈な笑いを見せた。ここを定宿にしていて出来ちゃったのだと声をひそめて云った。私は湯につかりながら、男のことは考えず、女の方には夫も子もあるのではないかと勝手な想像をした。

(略)

 しばらくすると、婆さんがバケツをとりに構わず入って来て、また卑屈な笑いをうかべ、あの女は二、三日
が出て動けずゴロゴロしているのだと云った。男の方はその辺へ薬を買いに行ったりして手当してやっているけど、バチ当りな女だヨと、女の方ばかりを非難した。私はの女が不潔に思え、先に風呂に入ることができてよかったと思った。


 この旅籠に泊ったのは四十二年十月末のことで、このあと私は体調をとり戻し、奥会津の湯野上温泉、岩瀬温泉、二岐《ふたまた》温泉に向かった。そして何年かして、このときのことを「旅
の女」という題でマンガの案を作った。けれども題材が下品な気がして描かずにしまった。


■「旅年譜」

 十月〈東北〉
 
(略)

 八幡平の蒸《ふけ》ノ湯《ゆ》で馬小屋のように見すぼらしい宿舎に泊り、乞食《こじき》の境涯《きようがい》に落ちぶれたような、世の中から見捨てられたような気持ちになり、奥深い安心感を覚えた。このとき以来ボロ宿に惹《ひ》かれるようになったが、それが自己否定に通底し、自己からの解放を意味するものであることはずっと後年まで理解が及ばなかった。

(略)

 私の温泉好きは、このときに始まったと思えるが、入浴が目的でなく、ボロ宿に泊り、自分を零落者に擬そうとし、自分をどうしようもない落ちこぼれ、ダメな人間として否定しようとしていたのだろうか。

(略) 

同上「新版 貧困旅行記」 から引用

《  》内は、ルビ
一部原文表記と異なります。



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