■「左見右身 四字熟語」 別役実著
「痔」と書かれている箇所を中心に抜粋します。
(略)
一病息災
「健康ブーム」だそうである。健康がブームというのはおかしいから、正しくは「健康法ブーム」ということであろう。あらゆるメディアが、「なりそうな病気」について口やかましくわめきたて、同時に、「それについての予防法」について、これまた口やかましくわめきたてている。
(略)
もちろん今日この言葉は、健康な人間が病気持ちの人間をなぐさめるために使われており、いわば「同情の変形」のようなニュアンスがあるのだが、本来の意味はそうではなく、「人は中年になったら、持病がひとつあった方がいい」と、「一病」を持つことに積極的な意味をこめていたのである。現に私は、「そう言われているんだが、生憎私には持病らしきものがひとつもなくてね」と、真剣に悩んでいる人を知っている。
「一病」を持つことによって人は、それが「二病」となり、ひいては「致死の病い」となることを用心するもであり、人間というものは本来、健康というものをそのあたりのバランスで維持しているのがいい、というわけである。「無病」となると、そうはいかない。「病気」に対する免疫が出来ていないから、それへの「恐怖」はとどめもないものとなり、勢い「健康法」も過激になり、手のつけられない「健康お化け」を作りあげてしまいかねないのだ。
というわけで、「一病息災」というのは今日の「健康ブーム」の中で大いに学ぶべき教訓となりつつあるわけであるが、問題は、この「一病」を何にすべきか、ということになるだろう。
(略)
こう考えてみると、「息災」のための「一病」を何にするかということは、かなり難しいということがよくわかるのだが、何もないわけではない。「腰痛」というのがひとつ考えられる。若いうちのそれは、整骨をしてコルセットをつけ、暫く不自由を我慢すれば治ってしまうことになるが、中年を過ぎてからのそれは、そうはいかない。
「骨を治しても、筋肉をそれにあわせて整えなければ元に戻るし、中年になるとコルセットをつけても筋肉を整えることは出来ない」と言われて、「腰痛」を我慢して生きるしかない、と宣告されるのである。「治せないし、従って持続性がある」ということで、今のところ「一病」の第一候補にあげていいものであろう。その他、「痔がいいよ」と言うものもいる。これも、種類によってはなかなか治らないし、「一病」としての条件は備えている。しかし、「あれには、ロマンチシズムがない」と言って嫌うむきもある。そんなものなくてもいいのだが・・・・・・。
(略)
画竜点睛
これはたいてい、「画竜点睛を欠く」と使われる。つまり、「欠く」ことによってはじめて意味を持つことが多いのである。
この場合は竜の眼であるが、描いてある場合はことさら気にならない。全体像を見て、「なるほど竜だ」と思うだけである。眼を示す一点を欠くことによってはじめて、竜であろうとしながら竜になり得ないでいるという、或るもどかしさのようなものを感じるのである。
(略)
というわけでこの言葉は、組織の中の個人のあり方を考える上で、大いに参考になる。つまり組織の中の個人は誰でも、いなければ「点睛を欠く」という存在でありたいと考えているからである。
(略)
それぞれジョークにほかならないが、現実はまあ、こんなところであろう。いなくなってはじめて、その必要不可欠性が判明するのではなく、いなくなってはじめて、「ああ、いなくてもいいんだ」ということがわかってしまうのである。こういうのは、「画竜点睛」ではなく、さじずめ「画竜点曇」(「点睛」は「点晴」ではないのだが)とでも言うべきなのだろう。
(略)
言ってみれば、組織に対して一種の否定面を通じて奉仕するわけであるが、その程度には気を配る必要があるのであろう。組織本来の活動の邪魔になるほど大きくてもならず、かと言って、かすりもしないようだと存在意義を認めてもらえない。
「一病息災」と言って、何の病気もないよりは、何かひとつくらい病気を持っていた方が人生をしのぎやすいという考え方があるが、この場合の持ってしかるべき病気の、「致死的ではないがわずらわしい」という程度は、大いに参考になるだろう。癌では重すぎるし、水虫では軽すぎるのである。一般には、「痔」などが適当と言われているから、「痔持ち」にとっての「痔」のようなあり方を、会社の中で維持しようというわけである。
もちろん、ことさら気に病むこともない。「画竜点睛」の「点」も、パリ街頭の「乞食」的、美人における「つけボクロ」的存在も、それだけでは存在し得ない。「点」には、それを竜の眼たらしめる他の描写が必要であるし、「乞食」にはパリの街が必要であるし、「つけボクロ」には顔の他の造作が欠かせない。そして我々の大部分は、この「その他」の役割を負っているのである。ただその重要性を、誰もがあまり問題にしないだけのことだ。というわけで、「画竜点睛」は「画竜点睛を欠く」と、そちらの方の小気味よさを言う場合が多いのであろう。
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大修館書店「左見右見 四字熟語」別役実著 2005年11月1日 初版第1刷から引用
一部原文表記と異なる部分があります。
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