痔の散歩道 痔という文化

文学論集逸脱と傾斜(塚本康彦)
塚本康彦(つかもと・やすひこ)
1933年、東京に生まれる。東京大学文学部国文学科卒業。現在、中央大学文学部教授。『古典と現代』同人。
著書─『能・歌舞伎役者たち』(朝日新聞社)、『ロマン的人物論』明治書院)他。
(「文学論集 逸脱と傾斜」塚本康彦著 未来社 奥付から引用)

この「逸脱と傾斜」のなかに「
について」という題名のものがあり、著者自身のの体験が記載されています。

疾について

(略)

 何を隠そう、過ぐる十四年前、我身も
の手術を受けたのであった。容易に忘失しがたいその痛苦を表すのに『明暗』のあんな程度の?描写ではおよそ慊焉たらざるを得ない。文豪の靴の紐を解くにも足りぬ己れが分際はよく承知しており、こんな調子の言種を為すことには面の皮が千枚張りなったみたいな破廉恥を感ずるけれど、あくまでも
の手術の個所に限ってのみ、私の裡には、自ら筆執って、ああ、嗤うなかれ、『明暗』に比肩する、いや、あれを凌ぐ如実の文章を物し、そう、霊界の辰野をして真の気味悪さを思い知らせてやりたい衝動が間歇泉さながらに湧いて来るのだ。然様致さずしては、まさに気絶悶絶に値する体験をした私は救われないであろう。なにやら犀星・太宰ばかりに、書くのは復讐のため、といった趣意と相成り、いい歳をして、と省みられぬでもないが、これも拙きさがせいであるのか。

(略)

 何故
をまともに描叙した文章が量・質共にえらく貧しいのかについては、職として、では死なぬ、に由ると考えられよう。患部は生存上五指に入る枢要な局部に定まっているにもかかわらず、とにかく穢い、いや、美しい病いなんて在るわけもないが、加うるに深刻感に反する滑稽感がこれにまつわっているそのことも無視できぬ原因である。実際掘辰雄なんぞ、肺を病んでいたからこそ『風立ちぬ』のごとき類の作品をつるつると書き得たのであり、
をネタにしてどうしてそれが可能だったであろうぞ。(誰しも、堀がで難渋している姿を想像したらプッと吹き出す筈だ)。

(略)

 幸いなるかな、「T外科」は他の文章に較べて光彩・迫力幾分劣り、またお互いの手術の一伍一什にもいささかならず差異が見られて、憐れなるかな、私は安堵の吐息をついたのだ。すなわち、私は己れの
の手術の痛苦惨苦を述べる資格を喪わずに済んだのである。注文の紙員も過半を超えたからには、当時の日乗を便りに、直ちに書く。但し私の文章上の習性、舞文癖をせいぜい慎み、言ってみれば、プロゼイックな筆致をもって試みてみよう。

 一月ニ日(七二年)(本学国文学専攻の開祖でもあった)吉田精一先生宅年賀ノ宴デ深酒シタノガ祟ッタノカ、
イボ(医学的には内痔)ニワカニ悪化。
 三日 年始ノ学生達トノ献酬モ快カラズ。ボラギノール坐薬ヲ挿入スルモ無益。
 四日 
依然トシテ引ッ込マヌ。痛ミヒドシ。
 五日 隣接ノ国立埼玉病院ニ行ク。肛門科ハ独立シテオラズ、外科デ診テモラウ。入浴・安静ト当リ前ノコトヲ云ワレタダケ。
 六日 妻、義妹ガ
ノ特効薬ヲ秘蔵スルコトヲ思イ出シ、電話スルトスグ持ッテ来テクレタ。ソノ桃色ノ軟膏ヲベタベタ塗ッテミルガ全然効カヌ。痛ミデ夜中何遍モ目ヲ覚マス。
 七日 成増ノ、内科・外科ニ肛門科ヲ兼ネル大沢医院ニ出カケル。坐薬ト飲ミ薬ヲ呉レタノミ。出ッ放シノ
ハ、鶉ノ卵位ノ大キサデカンカンニ固マリ、イクラ押シテモ内ニ入ラナイ。(嵌頓症状を惹起したのであろう)。
 八日 職業別電話帳デ専門医ヲ調ベ、妻ト一緒ニ池袋ノ東京肛門病院ニ赴ク。サスガニ丁寧ナ診察。私ノ
ハ相当悪クナッテオリ、出ッ放シノ左側バカリカ右側モヤラレテイル由。手術ガ最適ラシイガ、近ヅク学期末・入学試験ヲ慮リ、薬ニヨル治療ヲ頼ム。六千ニ百円徴サレテ驚ク。肛門医ニ保健ハ通ジナイコトヲ知ル。
 九日 高価ナ薬役立タズ。痛ミ益々ヒドシ。
 十日 妻ニ付キ添ワレテ、以前教エテモラッテイタ銀座ノK医院ニ行ク。(医院名を明記せぬのは、実は本学職員某氏の知音に当たる所だからである。以下の叙述も非礼・忘恩の極みとなるだろうが、何卒宥恕を乞う)。汚イビルノ二階、細長イ待合室ニハ付キ添イヲ合セテ十人程度待ッテイル。魔窟ノゴトキ印象。痛ミ無シ、入院ノ必要ナシトイッタ評判デ、患者ハ全国各地カラ集マッテ来ルラシイ。確カニ地方訛リノ強イ言葉ガ交サレル。待合室ト手術室トヲ仕切ルモノトテハ灰色ガカッタカーテンノミ。医師ト患者ノ簡単ナ問答ヤ、パチンパチントイウ鋏ノ音ガ聞コエル。一人約三十分。手術ガ済ンダ患者達ハ異口同音ニ「チットモ痛クナイ。早ク来レバヨカッタ」ト喋ル。
 私ノ順番トナリ、ベッドノ上ニ仰向ケニ寝テ、自ラノ脚を自ラノ手デ持チ上ゲル格好(いわゆるラーゲで謂うところの、仰臥屈曲位)ヲ執ラサレル。麻酔ノ注射ガ何本モ打タレル。数分後パチンパチンガ始マッタ。軽イ圧迫感ガアルダケダガ、自分ノ肉、シカモ最モ柔ラカイ部分ガ切リ取ラレテイルノカト想像スルト、スコブル気持ガ悪イ。ソノ内スッート意識ガ薄レカカリ、ベッドガ斜メニ傾キ、身体ガコロガリ落チル気分ニナッタ。柄ニモナク、哲学ヲ考エタ。効果無イノデ、私ノヒトリ前ノ若イ娘モ己レト同ジ格好ヲ執ラサレタコトヲ思ッタ。彼女ノ恥毛モ、女陰モダ。コレハ効果有ッタ。ヤガテ麻酔ガ切レテ来タノカ、痛ミヲ感ジルヨウニナリ、意識モハッキリシテ、辛ウジテ助カッタ。
 六十位ノ妖婆ミタイナ看護婦ガ「コレガ悪イ所デシタ」ト、茶褐色ノ臓物ノヨウナ物ヲ示ス。「イイデス、イイデス」ト叫ンデ、アワテテ目ヲ背ケル。看護婦ハ「自分ヲ苦シメテタヤツヲ見タイト仰言ル患者サンモ居マシテネ」ト、ニタニタ笑ウ。「普通ハ五万五千円デスガ、何々サン(某氏の姓)ノ御紹介ダカラ四万円デ」ト云ワレル。手持チノ一万五千円ヲ支払ッテアトハ借リタコトニシ、妻ニ支エラレテヤット帰宅。切ル前ハ鉄ノ爪ガブラサガッテイル痛ミダッタ。今度ハ安全カミソリノ刃ガ内部デピクッピクット動ク痛ミデアル。一晩中苦シム。
 十一日 大便ガシタクナリ、トイレニ行クガ、出ナイ。フト下ヲ見ルト真ッ赤。鮮血淋漓、トイウ表現ハコンナ有様ヲ指スノダロウ。ビックリシテ部屋ニ戻ル。血ガ廊下ニポタポタ垂レタ。一日一度ハ排便セヨ、固マッテ出ナクナッタラ大変ナ事ニナルト云ワレテイタノデ、妻ニイチジク浣腸ヲ買ッテ来テモラウ。小学校ノ時使ッタキリノモノダ。ソノオ蔭デドウヤラ出タ。シカシ息ンダセイカ、医師ガ「左ヲ切リ取ッタカラ右モ出マスヨ」ト予告シタトオリ、右ノ方ガムクムクトリ盛リ上リ、以前ノ左ノ方ト同ジ状態ニナッテシマッタ。思ウニ、左ノ
脱肛ハ右ノ防波堤ノゴトキ役割ヲ果タシテイタノデアロウカ。カミソリノ刃ノ痛ミニ鉄ノ爪ノ痛ミガ加ワル。医師ガ呉レタ痛ミ止メノ薬ヲ飲ム。
 十二日 K医院ニ電話スルト、右ノ手術ハ左ガ一応治マッテカラデナクテハ出来ナイ、ギリギリ十七日マデ待テト云ワレル。指示ニヨッテ温メタコンニャクヲ患部ニアテガウ。便秘ニナッテハト、サカンニ牛乳ヲ飲ミピーナツヲ食ベル。フダンソンナ事ヲシタラスグ下痢ヲスルノニ、少シモ便意ヲ催サナイ。排便ノ時ノ苦痛・出血ヲ怯エル神経ノユエダロウカ。

(略)

 十六日 胃痛ハ治マリ、重湯・粥ヲ摂ル。シカシ
ノ痛ミガ改メテヒドク感ジラレルヨウニナッタ。
 十七日 妻ニ付キ添ワレテ再ビK病院ヘ。今回ハ手術室ニ妻ヲ連レテ入ル。前回ノヨウニ貧血ヲ起シテハ困ルカラデアル。妻ハ医師ニ尻ヲ向ケ私ノ脚ヲ押サエル。妻ガ居テクレルコトデ気分的ニハ落着イタガ、手術ノ痛サハコタエタ。カミソリデ裂カレ、針デ突ツカレルヨウナ痛ミ。私ハ二十分間程唸リヅメデアッタ。医師ハ、コレデモウ一生涯出ナイト保証シテクレタ。今回ハ三万円デイイト云ウノデ、借リタ分ト合セテ五万五千円支払ウ。タイシタ儲ケダ。銀座カラタクシーデ帰ル。夜痛ミヒドシ、ハナハダヒドシ。又胃痙攣ニナッタラタマラナイノデ薬ハ飲マヌ。睡眠ハ延一時間位カ。
 十八日 イチジク浣腸デ排便。モチロン大出血。妻ガ私ノ肛門ヲ見タトコロ、イワユルキクトジ(医学用語では何と謂うのか、菊の花弁のごとき皺である)ハスッカリ無クナッテ、マルデ幼女ノアソコミタイニナッテイルソウダ。(爾来、私は己れの肛門を直視しかねていたのだったが、本稿執筆を機に、実は今の今、鏡を股間下に置き蹲踞して確かめてみたらば、皺はほぼ旧に復していた)。例ノ鉄ノ爪ノ痛ミハ消エ、カミソリガ内ニ入ッテイル感ジノミナリ。
 十九日 軟下剤ヲ買ッテ飲ムガ、便ハ硬イ。便器ニ坐ルト出血ガヒドクナルヨウナノデ、立ッタママシヨウトスルカラ、ヨケイ出ニクイ。血ダケガポトンポトン落下。ヤハリ浣腸ヲ使ウ。患部ニハ軟膏ヲ塗ッタ綿ヲアテガッテイルノダガ、ソノ軟膏ト患部カラ滲ミ出ル血・粘液ガ混ジッテ猛烈ナ臭気ヲ放ツ。ナンダカ腰ノ辺ガ肥桶ニナッタミタイデアル。

(略)

弊患を刈除されて、現在やいかに? それが再発したのである。 今度の
も、健康保険組合から送付された冊子を参看するに、可及的速やかに手術を受けるべき界域に達しているらしい。

(略)

 作後贄言
 原稿を清書してみて、私の
の記録は冗長なだけであって、『明暗』の簡潔・緊切にして想像力を強く掻き立てる文章にはとてもて敵すべくもないことを痛感した。所詮は降車に向かう何とやらか。呵々。しかしこれだとて満更捨てたものでもあるまい、『明暗』とはまた違った小さな特色を有するとの自負も打ち消しがたく、このまま編集部宛届けようと思う。

(一九八六年二月)

(略)



「文学論集 逸脱と傾斜」塚本康彦著 未來社 二〇〇二年三月二五日初版第一刷発行 から引用
一部原文表記と異なるところがあります。
BACK
痔プロ.com