飯島耕一(いいじまこういち)
一九三〇年、岡山市に生まれる。一九五二年、東京大学文学部仏文科卒業。二〇〇〇年三月まで明治大学教授。専門はフランス文学で、ここ二十年は世界最長の小説とされるバルザックの『人間喜劇』と呼ばれる小説群の研究が多いが、同時に世界最短の詩型とされる江戸俳諧に遊んできた。一九五三年、詩集『他人の空』を刊行、詩人として出発し、『ゴヤのファースト・ネームは』その他で高見順賞、現代詩人賞を受賞。最近の詩集に『浦伝い 詩型を旅する』がある。二十代の半ばに東野芳明、大岡信らとシュルレアリスム研究会を設立し、以後シュルレアリスム(超現実主義)関係の著作が多く、近年はその手法を取り入れた『暗殺百美人』などの小説で注目された。二〇〇一年、これら各ジャンルの仕事を集成して『飯島耕一・詩と散文』全五巻(みすず書房)を刊行した。
(「詩の両岸をそぞろ歩きする ―江戸と、フランスから―」 飯島耕一著 清流出版 2004年1月15日の奥付から引用)
■虹の喜劇0 88年3月のノート
一九八六年十一月半ばのある夜明け、突然肛門部に激痛を覚え、その手術にはじまって思いがけなく、十五年ぶりに再びウツ状態に落ち込んだ。『虹の喜劇』ははじめ、「わが戦後史」というテーマで長編詩を、と「現代詩手帖」から依頼されたものだが、こうして「わが病気詩」のようなことになった。長詩を依頼された直後の発病だったのである。しかしこれらが詩であるかどうかはわからない。多分詩ではない別ものだろう。また別の言い方をすればこれまでのきまりきった詩とはまったく異質の詩があるであろう。
(略)
■虹の喜劇(コメディ)・T 87年1月号(86年11月末執筆)
ちょっとした手術
十一月の朝
森繁も入った赤坂の病院に緊急入院する
お尻が痛くてたまらない
妻に こういうのを緊急入院というのだと
やっと冗談を言う
翌日午後
担送車に仰向けに寝かせられ手術場に向う
(略)
三〇年後の
今度は
みんな
鶏のように血まみれの尻をつき出して
よちよちと歩いている中年男ばかり
しかし痛い
お尻は第二の顔なのだそうだ
(略)
肛門の肛の字は
虹に似ている
虹の思い出
悲劇的に死んだ人がいて
おれはこのていたらくだ
虹の喜劇
前門の虎
肛門の狼!
(略)
■虹の喜劇・U 87年5月号(87年3月末執筆)
道化としての病気
通路としての病気
(略)
痔の手術は二度とも終ったが そのかわりに
思いがけないウツがやってきた
(略)
まったく 詩的知的虚栄心なんて 悲しいな
(略)
そんなものいったん尻の手術を受けるとなると
尻のつっぱりにもなってくれないよ
おれは掌にのるほどの
自分の 淡い どろりとした腸液のごときものをみて
ふるえ上がってしまった
人間は 腸液と歴史でできているのか!
(略)
■虹の喜劇(コメディ)・W 87年7月号(87年5月末執筆)
地霊の音楽
(略)
低所をまだ硝酸銀で焼かれて
その痛さに ひらめのように額に汗を流す日がある
(略)
ねずみのように低所を走り
ねずみのように低所を
すばやく 駆けて
ひらめのように 砂を蹴立てて
地霊の
音楽を
きく
痔に苦しむ仲間たち
友たちよ 地霊の音楽 それとも
痔霊の音楽をきこう
(略)
■虹の喜劇・Z 87年10月号(87年8月末執筆)
モンドリアンのSeaをみるまで
―澁澤龍彦への奇妙な友情
(略)
この八月五日に おれは痔の手術の傷口ソーハのために 赤坂に三度目の入院をし 八月六日の午後おそくに簡単な手術を受けた
(略)
きょうは八七年の八月二十七日 暑い 思い立っておれは 明治四十四年十二月と 四十五年九月に 漱石が痔の手術をした神田錦町一の十八の佐藤診療所を探しに行く 結局十八番地は存在せず 十六番地らしい YMCAの斜め前 明治書院という古いボロボロの出版社が十六番地である 漱石の痔について調べると 実におれの場合と似ている ウツ病と 痔に関しては 漱石と比肩し得る経歴となった これも暑気ばらいだと 暑い神田錦町を一時間ほど 歩きまわった
(略)
■虹の喜劇・] 88年2月号(87年12月末執筆)
青の(欠落)
病気も完治してみれば 「虹の喜劇も終わりに近い 肛と虹の字が似ていることから 虹の喜劇としたのだった 江と虹 という対比も時々頭にひらめくようになった
(略)
■虹の喜劇(最終回) 88年3月号(88年1月末執筆)
わが<戦後>史
(略)
(「虹の喜劇」とはニジという詩を書くことの喜劇性でもあるかもしれない。肛の中にはジはないが、美しい虹という字の中にはジがある、そうした喜劇性もまたあった)。
(「虹の喜劇」飯島耕一著 思潮社 1988.7.15 より引用)
一部原文表記と異なるところがあります。 |