「美と愛情の朗らかな使者ハイネ。だが、彼はユダヤ系ドイツ人という宿命の星の下に生れ、人類解放の旗手として、祖国を愛しながら亡命先のパリに客死した薄幸の詩人であった。甘味な歌に放浪者の苦味が加わり、明澄さの中に幻滅や独特の皮肉の調子がまざる。(以下略)」
新潮文庫「ハイネ詩集」 訳者 片山 敏彦 平成二十三年九月三十日 八十九刷
のカバーから引用
[ハイネ Heinrich Heine (1797-1856)]
「ユダヤ商人の子Harryとしてデュッセルドルフに生れ、フランス革命の思想的洗礼を受ける。実業を望む身内の意に背き、文学に傾倒、『ハルツ紀行』『歌の本』で名声を得る。1825年、新教に改宗し、Heinrichと改名。’31年、7月革命を機にパリへ移住、文化人と交流し、独仏文化の橋渡しに心を砕くが、’35年、ドイツ圏では全著書が発禁処分。、’48年、脊椎を患い、以後病床で創作を続け、Henriの名で客死した。ドイツ浪漫主義の完成者とされ、〈愛と革命の民衆詩人〉として愛されつづけている。」
同上 新潮文庫「ハイネ詩集」カバーから引用
一部原文表記と異なります。
■遺言状 (ロマンツェーロー から)
(全文を引用します。)
どうやら命も終りに近い
遺言状でも書いておこうか
これでもおれはキリスト教徒
おれの敵にも遺産をやろう
尊敬すべき徳望高い
敵の諸君に遺ってやろう
あらゆるおれの悪疾病毒
四百四病の長病を
遺産の品は 釘抜きみたいに
腹わたを捩りつける疝痛と
小便詰りと 底意地悪い
プロシャもどきのこの痔疾
悪寒の痙攣もくれてやる
だらだらよだれと手足のしびれ
背骨の髄の灼けただれ
みんなすてきな賜物ばかり
遺言状には添書きしよう
神のお慈悲で
てめえらの
悔みなんざあ まっぴらだ
新潮社「世界詩人全集3 ハイネ詩集」 井上正蔵訳 昭和五十年八月五日八刷 から引用
一部原文表記と異なります。
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