痔の散歩道 痔という文化

京都編
■真山がけ観音寺
がけ観音寺は、がけの観音とも言われ、京都市八瀬にあります。御祈祷をお願いすると、「痔封じ 疣封じ 安全御守護」と書かれたお守りと褐色の粉をいただくことができます。この粉末を患部に塗ると効果があるそうです。(がけ観音の「がけ」は石偏に戔)

真山がけ観音寺 入口 国道367号線沿いにあるがけ観音寺入り口ここから少し坂道を上がって行きます。
真山がけ観音寺 本堂入口 階段を上がると本堂です。
真山がけ観音寺 本堂 本堂です。
京都市左京区八瀬野瀬町21


■福昌山 本教寺
本教寺は、伏見の大手筋商店街にあり、大手筋の妙見さんと言われる。
大手筋商店街アーケード側に入り口があります。
ここに、痔疾平癒の信仰のある秋山自雲霊神を祀った祠があります。京都市内に八ヶ所あるといわれる秋山自雲霊神の一つです。

本教寺山門 本堂 本教寺山門 本堂
秋山自雲の祠 秋山自雲の祠
「痔疾祈願霊祠「痔疾祈願霊祠」
「秋山自雲霊神」と記されている。
京都市伏見区東大手町778

京阪電車桃山駅下車西へ
近鉄電車桃山御陵駅下車西へ
市バス西大手筋下車東へ


■椿寺
「椿寺のいわれ」によると
「当院は、昆陽山地蔵院といい、通称、椿寺とよばれている。神亀三年(七二六年)、聖武天皇の勅願により、行基が、摂津の昆陽池のほとりに、一寺を建立し地蔵院と号したのが始まりであった。・・・(略)ついで、天正十七年(一五八九年)、豊臣秀吉の命により、一条紙屋川の現在地に移り、今に至っている。」
五色八重散椿が知られています。「椿寺のいわれ」によりますと、加藤清正が、朝鮮から持ち帰り、豊臣秀吉に献上したのを、秀吉が北野大茶会の縁から、ここに献木したもので、現在は樹齢百余年の二世が、本堂前に咲いているとのことです。
天野屋利兵衛遺跡、夜半亭巴人の墓もあります。
また、地蔵堂に安置されている地蔵菩薩(俗に鍬方地蔵、木納屋の地蔵とも言われる。)は、安産守護の地蔵として霊験あらたかとのことです。
さて、痔に関してですが、地蔵堂前の椿大明神が痔の神様とのことです。
お願いすると、痔病平癒のための御祈祷をしてくれます。

椿寺 入口 入口 門から奥を眺める。
椿寺 本堂 右側に本堂があります。
京都市北区大将軍川端町二


■圓成寺
ここにも京都市内に8か所あるといわれる痔疾平癒の信仰のある「秋山自雲」の墓があります。寺の門をくぐると「信仰のない者は入るべからず」とあります。正面に本堂があり、そこから激しい読経の声が響きます。この本堂の斜め左奥の広い場所に、秋山自雲の墓があります。山がせまり、鬱蒼とした木々に囲まれ、まるで深山にいるかのように錯覚します。

入口 入口
入口から本堂 入口から本堂を見ます。
秋山自雲の墓 本堂から斜め奥に秋山自雲のお墓があります。
秋山自雲の墓秋山自雲の墓
京都市上京区鷹ケ峰


■寶塔寺
寶塔寺は、その昔、藤原基経が発願し、昌泰二年(八九九)藤原時平が大成し、真言宗系の極楽寺を起こされました。その後、たまたま徳治ニ年(一三〇七)、時の住職良桂が、京都開教中の日蓮の法孫日像と三日三晩の法論の末に帰服し、日像を開山に迎え日蓮宗となりました。
日像が京都七道口に建てた題目石塔婆の一つを、当山の日像本廟所の奉祀したことことにちなみ、寺名も寶塔寺と改められました。
七間五面の本堂は慶長十三年(一六〇八)に、京都市最古の行基葺の多宝塔は永享十年(一四三八)にそれぞれ創建され、室町中期の四脚門(総門)とともに国の重要文化財に指定されています。
また、山上には法華守護七福即生の七面大明神がまつられ、ここからは市内の眺望が開けます。」(寶塔寺資料から引用)
この寶塔寺の境内に痔疾平癒の信仰のある「秋山自雲」の墓があります。今は訪れる人もないようです。

総門 坂を上っていくと、四脚門(総門)があります。
秋山自雲の墓 この塔の脇に秋山自雲の墓があります。
秋山自雲の墓 板碑には、「痔疾平癒秋山自雲居士の墓」と記載されています。
秋山自雲の墓 「南無妙法蓮華経、妙法秋山自雲霊神」とも書かれています。
京都市伏見区深草宝塔寺山町


■善立院(頂妙寺塔頭)
善立院(ぜんりゅういん)は、頂妙寺の八つの塔頭のひとつです。
頂妙寺の山門をくぐると広い境内があり、左側に塔頭が並んでいます。その一画に善立院があり、痔疾平癒の信仰のある秋山自雲も祀られています。
頂妙寺は、日蓮宗一致派総本山。日祝上人を開山とします。
このお寺の秋山自雲の碑は、お堂の中にあり、提灯が石碑の上にあります。堂の中は広く、石碑の裏までは入れます。手前の赤い大きなものと奥に小さなものの2種類が提げられ、どちらにも「南無秋山自雲霊神」と書かれています。石碑には、痔の〇守護〇、秋山自雲霊〇と書かれています。(〇の部分は摩滅していて判読困難でした。)
以前に訪れたときは、このお堂は、頂妙寺に属すものと思っていましたが、再訪すると頂妙寺の塔頭である善立院のものであることに気が付きました。
善立院を訪ねることはしませんでしたが、たまたま隣の塔頭(妙雲院)のご住職とお話ができました。頂妙寺の塔頭は、今は頂妙寺から経済的には独立していて、秋山自雲のお堂は善立院に属するものとのことでした。
i以前に訪れたときと、大きく変わっていない様子ですが、画像も改めます。
(平成16年5月3日再訪)


頂妙寺 頂妙寺
頂妙寺境内 頂妙寺境内 左手に善立院がある。
秋山自雲のお堂 秋山自雲のお堂 頂妙寺の境内に向いている。  
秋山自雲の碑 秋山自雲の碑 この上に提灯が下がっている。
提灯  提灯 大きな赤い提灯と奥に小さな提灯が並んでいる。
どちらも秋山自雲霊神と書かれている。
秋山自雲霊神の由来  秋山自雲霊神の由来 お堂の奥の壁に貼ってある。
(画像をクリックすると拡大します)
 
京都市左京区仁王門通川端東入大菊町96
(京阪本線 三条駅 から徒歩5分)



■妙尭寺
京都市内に8か所あるといわれる痔疾平癒の信仰のある秋山自雲の墓の一つがあります。お寺は小さく、住職も常にいるようではないようです。秋山自雲の墓は、入口から少し歩くと右側にお墓が並んでおり、一番手前にあります。お墓はきれいで、比較的新しいように感じました。お墓には、「秋山自雲功雄居士」と書かれています。

入口 入口
秋山自雲の墓 秋山自雲」のお墓
秋山自雲の墓「秋山自雲功雄居士」を書かれています。
上京区下立売通七本松西入


東本願寺 大谷墓地(秋山自雲の墓)
痔疾平癒の信仰のある秋山自雲の墓が本願寺大谷本廟(西大谷)にある墓地の一画に他のお墓と同じようにひっそりとあります。はじめは、東漸寺に祀られたようですが、その後、
「東漸寺は天正18年(一五九〇)の創建と伝えられますが、明治の廃仏毀釈の波にさらされ荒廃し、明治8年(一八七五)廃絶されました。旧寺地は、現在は東大谷墓地となっています。南向きの古びた墓ですが、秋山自雲の墓は十七区に現存します。」(奥沢康正著「京の民間医療信仰」)
広い墓地の中で比較的上の方の17区243号にあります。お花が供えられており、今も訪れる方もいるようです。

秋山自雲の墓 12,500のお墓のひとつとして存在します。
秋山自雲の墓 秋山自雲霊位居士」と書かれています。
京都市東山区五条橋東6丁目


妙見堂(妙見宮、鳥辺山妙見大菩薩)
痔の神様である秋山自雲が、妙見堂境内の右側にある祠の中のお墓があります。お墓には、「秋山自雲神霊」と刻されています。

「昭和京都名所圖會」竹村俊則著 駸々堂出版 一九八九年七月十日第三刷発行には、次のように記載されています。
「【妙見堂】は(通妙寺の)隣の本寿寺をへだててさらにその東にあり、通妙寺の別所となっている。俗に「鳥辺山の妙見」とよばれ、境内にある舞台造りの絵馬堂からの眺望はよく、参詣者の興味を引く。傍の十三重石塔(南北朝)は鳥野辺墓地の遺物と思われ、秋山自雲居士しゅうざんじうんこじ墓痔疾平癒祈願の信仰がある。」

ただし、「現在、妙見堂と通妙寺は、関係なくなっています。妙見堂は鳥辺山妙見堂智積院といい、明治の廃仏毀釈の時に通妙寺から独立しました。(中略)本堂の裏にある秋山自雲の墓は、東漸寺から分祀されたもののようですが、分祀の年代などについても詳細は不明です。今も沢山の人が、秘かにお参りにこられるということです。」とあります。「京の民間医療信仰」奥沢康正著 思文閣出版 1991年4月20日発行

中にお墓があります。  





奥に本堂があります。
お墓
「秋山自雲神霊」と刻まれています。
 
妙見堂入口  
通妙寺:京都市東山区五条橋東6−158
妙見堂は、大谷本廟の脇の細い坂道を上がり、通妙寺、本寿寺の先にあります。前に鳥辺山墓地があり、その先は、清水寺に至ります。
京阪本線 清水五条駅から1.2q、バス停東山五条から徒歩約5分 

2015年9月1日訪問


本成寺(ほんじょうじ)
痔の神様である秋山自雲の位牌が、境内にある地蔵堂に安置されています。
「今は位牌しか残っていない。位牌には、『秋山自雲居士』と記されている。
また、この地蔵堂には、小野篁作と伝えられる木造地蔵菩薩像一体が安置されている。古来「痰切り地蔵」としてよく知られ、地域の信仰を集め、かつて縁日には夜店が出て賑わった。この本成寺は、京都本能寺を本山とする法華宗である。」とのことでした。(住職のお話)
そして、この地蔵堂のすぐ脇から「妙栄水」と言われる清水が湧き出ています。「とてもおいしい水ですよ。自由にもらえますよ。」とこの水をもらいにきた方から伺いました。

地蔵堂
この中に、秋山自雲居士の位牌があります。
この右側に、「妙栄水」があります。
 
地蔵堂の内部です。
左側に秋山自雲の位牌があります。
 
正面入口
京都市伏見区石屋町511 丹波橋駅から3分

2015年9月1日訪問


青龍寺(伽羅観音) 
浄土宗のお寺。痔の神様である「秋山自雲霊神」のお墓のみが残っています。
お墓には、「秋山自雲霊神」と刻まれています。
秋山自雲は、京都にある本能寺を本山とする法華宗の末寺に多く祀られていますが、この青龍寺と岐阜県高山市にある飛騨国分寺(高野山真言宗)は日蓮宗の寺ではありません。

「新訂 都名所図会2」筑摩書房 一九九九年三月十日 第T刷発行 には、次のように記載されています。
「伽羅の観音きゃらのかんのんは高台寺こうだいじの南、霊山道りょうざんみちにあり。青竜寺せいりょうじと号す。本尊は聖しょう観音、長たけ五尺の立像りゅうぞうなり。伝教でんぎょう大師(最澄、七六七―八二二)の作にして、伽羅をもって彫刻す。脇士きょうじは地蔵・毘沙門びしゃもんを安置す。洛陽観音廻めぐりのその一なり。」

「秋山自雲霊神」のお墓です。
正面入口です。
扉は閉まっていますが、中に入れます。
東山区下河原通八坂鳥居前下ル 3丁目南町411
市バス 東山安井下車 徒歩5分

2015年9月1日訪問


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