■長田神社
神戸市長田区。この長田神社の境内に楠宮稲荷社があり、ここに、幹回り約5メートル、樹高約30メートル、樹齢推定約800年の楠の巨木があります。古来、ご神木として崇敬され、赤ヱイの絵馬を奉納して祈願すると、痔病がなおるという信仰があります。今も多くの人が痔病平癒などで訪れています。
長田神社本殿 |
楠宮稲荷社 |
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一 病気平癒の加護で有名です。
二 お願い事を絵馬に書きご奉納下さい
三 ご神木の霊気に接してください
と書かれています。 |
○楠宮稲荷社の神木と赤■(えい)の由来
説明書き |
赤えいの絵馬 |
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御神木”楠”は瀬戸内に生息する赤■(えい)が 苅藻川を遡り化身したと伝えられ、以来 常食であった美味な赤■(えい)を断って願を掛けると願いが適うと信仰されている。
古来、病気平癒、心願成就のあらたかな霊験の中でも特に痔病に格別のお蔭があり、広く崇敬されている。
御祈願は赤■(えい)の絵馬に性別、干支、年齢を 書いて供え、お礼詣りにも絵馬を奉納下さい。
楠宮稲荷社(くすみやいなりしゃ)
(■は、漢字ですが表記できませんでした。)
○奉納された絵馬
鎮座と沿革
神功皇后摂政元年ニ月、皇后が新羅より御帰還の途中、武庫の水門に於て「吾を御心長田の国に祠れ」とのお告げにより、山背根子の女、長媛をして創祀せしめられた全国有数の名社である。(日本書紀)古来、皇室をはじめ武門の崇敬あつく、延喜の制には名神大社、祈雨八十五座に数えられ、明治二十九年には官幣中社に列せられた。
(長田神社パンフレットより)
神戸市長田区長田町3−1−1 市営地下「長田駅」、「高速長田駅」下車 徒歩10分程度
■蛇穴神社 兵庫県姫路市にあります。
蛇穴神社は、「じゃけつじんじゃ」と呼びます。
姫路観光コンベンションビューロー姫路観光ナビ「ひめのみち」のホームページに、次のように記載されています。
「国道312号に面した緑の木々の間にあり、地元では「じゃけつさん」の名で親しまれています。特に皮膚病、痔疾をおさえるのに霊験あらたかとして有名で、遠方から参拝する人も後を絶ちません。境内には桜の木がたくさん植えられており、春には多くの花見客が訪れます。」
境内にこの蛇穴神社の由来が書かれた石碑がありましたので、下記に全文を記載します。
蛇穴神社
祭神
市杵嶋姫命(またの御名 狭依毘※売命)
由来
社がいつ創建されたのか、その年代は詳かでありません。
たヾ語り伝えによればその昔市川が東西に分流していたころこの地は中洲になっていて樹木生い茂り、蛇も住みついていて郷の衆は「蛇穴の森」と呼びならわして祠もしつらえてありました。
あるとき難病を煩った里人が困り果ててこの治癒を祈願したのであります。
ところがある夜安芸国の厳島神社の神が枕頭にあらわれ、「蛇穴の森」に社殿を建立すれば病は平癒するであろう。との託宣を受けたので郷の人々と相計り社殿を造営するとさしもの難病も全治したのであります。
のち現在にいたるまでこの地に守り神として鎮座されているのであります。
赤■【あかえい】の絵馬
当社の祭神である市杵嶋姫命は筑前国にいます宗像神社(福岡県宗像郡元官幣大社)の本社に相当する辺津宮の祭神でもあって、その御名が示すように女神であり、かつまた海の神でもあります。
アカエ(関西では赤■をこのように言います)はこの神の使いとされています。このアカエは痔病をはじめ難病、悪疫の守り神として広く神仰されていまして、アカエを断食しアカエの絵馬を奉納し祈願すると霊験灼たかで難病も治癒するといわれ、特に痔病に灼たかであります。
更に皮膚病についても鯰の絵馬を奉納して平癒祈願されています。
地の神に対する信仰は生活に結びついて悩み事、願い事を理屈ぬきで託せるので親しみがあって今日まで多くの方々に崇められているのであります。
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(※は原文では田偏の右側に比 ■はえい:魚偏に賁)
(裏面に「平成二十一年十月吉日 広瀬自治会」との記載があります。)
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「蛇穴神社」とあります。 |
社殿 |
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絵馬が奉納されています。 |
神社入口です。
奥に社殿が見えます。 |
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こちらにも絵馬が奉納されています。 |
石碑が建っています。 |
姫路市香寺町広瀬501
JR播但線「香呂駅」より北東へ徒歩約10分
(平成26年1月3日訪問)
■本妙寺
法華宗本門流のお寺です。
痔の神様である秋山自雲のお墓、位牌、木座像があります。
この秋山自雲は、もともとは江戸の本性寺に由来し、初めにこの本妙寺と京都東山の東漸寺に分祀され、以後、さらに関西を中心に分祀されていきます。京都の東漸寺は、明治の廃仏毀釈により廃寺となったようで、大谷墓地の一画に秋山自雲のお墓のみが残っています。ここ本妙寺は、秋山自雲の出生の地としての秋山自雲とは縁があります。
住職から、秋山自雲の縁起が書かれた文書をいただきましたので、一部を抜粋して紹介します。
根本霊場 本妙寺勧請
秋山自雲霊神略縁起 秋山講本部編集
謹み按ずるに、秋山自雲霊神は今を去る二百二十九年前即ち元禄十一年摂津の国川辺郡小浜の御出生にして、多田満仲公満慶入道の愛臣藤原仲光の後裔桂間氏なり。
然るに、應仁天正の兵乱によりて、子孫諸所に離散せり、宝永の頃父六左衛門東都に在住せし時、子息善兵衛(秋山自雲霊神御幼名)岡田孫左衛門と云ふ武家に勤仕す。性質温厚篤実にして、然も其の功抜群なり。故に主家の恩寵を受け遂に家名を相続して、岡田孫左衛門と称するに至れり。
然るに、二十八歳頃より痔疾を煩ひ、数多の名医手をつくせども、更に効なく苦む事七ヶ年、諸医示して云はく、これ難治の病なりと。
時に、孫左衛門薬石の効なきを悟り、仏力法力によりて此を治癒するの外途なしと、翻然として妙法の信仰に浸り法華経第三の巻譬諭品の御文を拝読せしに、
我も亦是の如し、衆聖の中の尊、世間の父なり。
一切衆生は皆な是れ吾が子なり。深く世楽に著して恵心あることなし。
三界は安きことなし、猶ほ火宅の如ごとし。衆苦充満して、甚だ怖畏すべし常に生、老、病、
死の憂あり。
是の如き等の火、熾然として息まず。如来は已に、三界の火宅を離れて寂然として閑居し、
林野に安処せり。
今此の三界は、皆な是れ我が有なり。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は、
諸々の患難多し。唯我れ一人のみ、能く救護をなす。
と、 爰に於て一心決定して仏祖三宝に大誓願を発し昼夜南無妙法蓮華経を信念口唱して懈怠なし。遂に、さしもの難治の痔疾も平癒するに至れり。
故に、晩年仏師を招き、自己の肖像を彫ましめ歿後の法体となし、其の臨終に際し、親戚知友を辱右に集め端座合掌し仏祖三宝に誓つて曰く。
我れ壮年の際、痔疾に苦しむこと七ヶ年、この痔疾の苦悩は口に述べがたく、心に量がたし。我れ
死なば必ず仏祖三宝の冥助を仰ぎ、痔疾に憂ふる人を救はん。
と、誓願し法華経を読誦唱題しつつゝ示寂せり。
時に延享元年甲子九月二十一日なり。則ち法号を秋山自雲霊神と称す、(以下、略)
昭和九年七月二十一日本妙寺本堂秋山堂新改築発起の日本妙寺三十四世田頭永山記之
※原文表記と異なります。特に、旧漢字は多くを改めてあります。
また「ふりがな」は一部を除き原文表記のとおりです。
宝塚市小浜5−17−15
売布神社(メフジンジャ)駅(阪急宝塚線)徒歩約12分
2015年8月31日訪問
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