痔の散歩道 痔という文化

お化け寺
馬にまたがって野や山を駆けめぐっていた荒くれ武者は、そのつらがまえは見事じゃがたいてい痔疾(じへい)をわずらい一人ひそかに悩み苦しんでいたもんじゃ。
征夷大将軍、源頼朝もその一人だったそうな。
頼朝は、神仏に祈願して
とたたかいながら天下に号令しておったんじゃ。
ある年のある晩、頼朝の夢枕に仏さまがたたれて、
「これ、頼朝よ、橘樹郡(たちばなごおり)の平原に平原に清き流れがある。その清流で洗えば、(なんじ)
は、たちどころになおるであろう」
と、告げられたそうな。
頼朝、さっそく、鎌倉からはるばる多摩川にやってきて、清流に尻をつけたそうな。したらば、
は、けそけそとなおったそうな。
頼朝は、晴ればれとした姿で多摩川の川岸にたった。
「この礼に、この地に寺を建てよう」
と、小さな寺を建てたそうな。

月がたち日がたった。頼朝が建てたという寺はいつのまにかやぶれ寺となり、境内には草がぼうぼうとしげり、壁は落ち、屋根はくずれ、村のしゅうは、お化け寺と呼び誰も近よらなかったそうな。
ところが、この寺にいつのまにか年よりの坊主が小僧と下男を連れて住みついておったそうな。
ある日、村の医者のところにその寺の下男がとんできた。
「医者さま、医者さま、寺のもんじゃが、病人が出たんですぐ来てくれんか」
医者どん、あの化けもの寺と聞いてうまく断ろうとしたが、下男が拝む、頼むと手をこするもんでしぶしぶ寺へ行った。
すると、寺の戸ががたぴし開いて、
「病人は、わしじゃ、頼む」
と小僧が出てきた。医者どんは、小僧のみゃくをはかった。
ビックン ビックン ビックン
<こ、こりゃ人間とは違うど、けものじゃ>
と、医者どんは、思ったが、次に舌をしらべた。
赤い舌がベローンとさがってきた。まるで牛の舌のようだ。
医者どん、たまげていると、奥の襖が開いて年よりの坊主が出てきた。
「これ、これ、小僧、何のまねをしておるのじゃ。そんな暇があったらお経でも習っておきなさい。さ、さ、あっちへいって」
と小僧を追いやると、
「医者さま、じつはのお、病人は、このわしじゃ。昨夜から熱が出よって経もあげられんわい、ひとつみてくれんかね」
医者どん、おそるおそる坊主のみゃくをはかると小僧とおんなじだ。次は、舌をしらべた。
ボツボツのいっぱいある赤ーい舌がペロリーンとぶらさがった。
医者どん、肝っ玉とばして、道具もほったらかし逃げに逃げた。
やっとこさ境内をつんぬけて、村の道に出てほっとすると、うしろから
「医者さまー、医者さまー、ちょっと待ってくだせえ」
と、呼ぶもがいる。おそる、おそるふり返ってみると、寺の下男がニカニカと笑っておる。
「ばかやろう。あの寺は、化けもの寺じゃ。坊主も小僧もみんなけものじゃ」
と、医者どんどなると、かの男、のっぺりした顔で、
「ほうか、そりゃすまんことしたのお。じつはのぉ、このわしもその仲間じゃ。見てくだせえ」
とボツボツのいっぱいある舌をベロンベロンと出したそうな。
この話が、村じゅうに広まった。
村のしゅうは、さっそく神主を呼んで祈ってもらうことにした。
やがて、境内に祭だんがつくられ、神主はなんやらモニャモニャと、お化けを追っぱらうのりとをあげていると、寺の本堂で戸がガタビシして、坊主と小僧と下男が三びきの大むじなになってうらの林の中に逃げて行ったそうな。
こうして、神さまの力で、土地を清めたというので、ここらを「神地(ごうじ)」と名づけたそうな。
お化け寺は、いつのまにかつぶれてしまい。そのあとにできたのが、いまの泉沢寺だという。

萩原 昇著「神奈川県の民話と伝説(上)」有峰書店から全文引用
《第三十一話》 お化け寺 川崎市


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