痔の散歩道 痔という文化

医心方
■医心方(いしんほう又はいしんぽう)
 平安時代の天元5年(982)に、典薬頭《てんやくのかみ》で行鍼博士《こうしんはかせ》の丹波康頼《たんばやすより》(生没年不明、10世紀頃)が、中国の隋・唐時代の医書、方術書など百数十篇から諸説を選んで編集。永観2年(984)円融天皇に献上した。現存するわが国最古の医書として有名である。全30巻
 
 選者の丹波康頼は渡来人系の子孫で、丹波家は和気家と並んで典薬頭を世襲した医家の名門である。

 『医心方』の内容は、当時の医療水準を超えており、天皇の勅諭で医生の教科書に指定されたといわれるが、実際の医療には活用されなかったとみられている。本書が引用した中国の医書の多くが散逸しているため、断片的にもそれらを見ることのできる本書は、むしろ史料的価値のほうが高いとされる。

《 》内は、ルビ
(山本徳子著「古典医書ダイジェスト」医道の日本社 1996年1月10日初版発行 から抜粋)


 康頼原撰本である医心方は、平安時代には失われてしまい、丹波家の後裔が1145年に新しい写本を作った。この医心方は、その後数100年の間、宮中に保管されていたが、1573年頃、半井(なからい)端策に下賜された。半井氏は代々典薬頭をつとめ、丹波氏とともに、わが国医家の二大派閥であった。
 1791年、丹波康頼の後裔であり、幕府医官であった多紀元悳は、医心方の完全復刻を企図したが、復刻は20巻にとどまった。多紀氏は、さらに完全な復刻を企図し、仁和寺本と多紀氏所有のものを加え20巻とし、この写本を江戸医学館に収めた。
 さらに完全な写本を筆写したいと考え、半井氏所蔵の医心方30巻を医学館に提出するよう働きかけた。
半井氏は50年間幕府の命に従わなかったが、1854年、半井氏は医心方を提出した。筆写後に原本は半井氏に返還された。
半井氏に返された医心方は、百数十年後の1982年半井氏から国の所有となり、1984年に国宝に指定されている。

(医心方一千年記念会編集「医心方1000年のあゆみ」1984年10月1日発行 の中の杉立義一「『医心方』の写本と刊本」を要約した。間違いはご容赦ください。)


 この医心方に昭和49年から取り組み、全30巻を最初に訳したのが、槇佐知子氏である。槇佐知子氏は次のように書いている。「『医心方』を二十年のあいだ一人でこつこつ訳すのは、孤独な仕事だったでしょう』と聞かれたが、とんでもない。歴史の巨星達に随処でめぐりあう歓び。誰も知らぬ秘方を解く歓び。毎日毎日が発見と驚きとの連続であったからである。」(槇佐知子著「古代医学のこころ『医心方』随想」から)

槇佐知子(まき・さちこ)
1933年、静岡県生まれ。古典医学研究家。日本医史学会会員。日本最古の医学全書『医心方』と『大同類聚方』の研究に取り組み、独学で現代語に全訳。『全訳精解大同類聚方』の刊行により、1986年に菊池寛賞を、87年にエイボン功績賞を受賞。瀧井孝作の推薦で創作も発表している。著書に『医心方の世界』『日本昔話と古代医術』『食べものは医薬』『自然に医力あり』『日本の古代医術』など多数ある。
『医心方全訳精解』全30巻を逐次刊行中

(ちくま文庫 槇佐知子著「くすり歳時記」筑摩書房)から引用


■医心方 巻七 性病・諸・寄生虫篇
 医心方は、第一巻総論、第二巻鍼灸から始まり、内科、外科、産婦人科、小児科、精神科、泌尿器科、肛門科、養生ほか現代医学にない錬金術、呪術、占い、妖怪変化対策などもある。肛門科については、第9章から第15章で扱われている。

以下、丹波康頼撰 槇佐知子全訳精解 医心方 巻七 性病・諸
・寄生虫篇」筑摩書房から一部を引用させてもらいます。
 この医心方にある治療法、対処法は、現代の我々にとっては、効果がないと思われるもの、あるいは健康を害する恐れが高いもが多くあります。その中でも、特にユニークであったり、驚くようなものを取り上げます。

《  》内はルビ
原文表記とは異なるところが多数あります。
〈  〉内は、原文にはありません。


■第九章 脱肛の治療法


 [解説]九章から十五章までは肛門科ともいうべき部門で、痔疾のほか、肛門周囲炎や寄生虫による掻痒も含まれている。
 
(略)

 古代の人々も体験からそういったことがわかっていたようで、同じような注意が記されている。治療法も現代と同様、押し込んでいるが、靴底で押し込むというユニークな方法や、燻法《くんぽう》、灸法や薬など、さまざまな工夫がみられる。

(略)

2 『千金方』にいうには、
 脱肛の場合は重い物を持ち挙げたり、ベルトをきつくしてはならない。性交を一年間断つことはよいことである。

(略)

5 《葛氏方』
 大便して急に脱肛した場合の治療法。
 (1) 頭のてっぺんの中に百壮の灸をせよ。

(略)

9 またいう。
  何年たっても癒らない脱肛の治療法。
 (1) 死んだスッポンの頭を一つ焼いて煙らし、すりつぶして粉末にしたものを肛門のまわりにつけ、手でこれを押し入れよ。

(略)

<以下14項目まであります。「炙った麻のくつの底で押し込む方法」などの方法も取り上げています。>


■第十章 肛門掻痒《そうよう》症の治療法
 [解説] 現代医学の肛門掻痒症がこれである。この原因は
(いぼ、切れ瘻《じろう》)や蟯虫《ぎょうちゅう》でその場所に何らかの病変があることが多いが、そのほかにも糖尿病や黄疸など全身病や、卵巣機能障害、アレルギーなどによって起こる場合もある。

(略)

2『葛氏方』
 下部@がまるで虫をかじっているように痛痒する者。
 (1)胡粉と水銀Aを膏棗《そうこう》Bで調合し、綿に包んで肛門に導入すること。
 @傍訓に「シリノ」または「シリノアナ」とある。
 A有毒なので現在は禁止されているが、近代まで水銀軟膏その他に薬用された。
 Bクロウメモドキ科高木のナツメの果実の仁から作った膏。

 (2)杏仁《きょうにん》@熬《い》って黒く焦がし、搗いて膏を採ってこれを患部に塗ること。
 
@バラ科小高木アンズの果実の核の中の仁。

(略)

<以下、7項目まであります。>



■第十一章 肛門が赤くなり、痛む場合の治療法

[解説] これは現代医学の肛門周囲炎である。 (略) 本章には化膿しないうちの治療法が一文献から二つ抄録されている。

1『集験方』
 肛門が赤くなって痛む場合の治療法。
 
(略)


■第十二章 肛門周囲膿瘍《のうよう》の治療法

[解説]

(略)

古代人は細菌の存在を知らないので、理論も大腸の虚熱のためとしている。

(略)

2『葛氏方』

 急に肛門にできた瘡の治療法。
 (1)■■@《せいそう》を搗いて幹部にこれを塗ること。
 @コガネムシ科チョウセンイロコガネムシ。夏から秋にかけて採集。洗浄し、加熱乾燥する。幼虫も用い 
 る。ジムシ、ともいう。

<■■は漢字ですが、表記できませんでした。虫篇に齊と虫偏に曹です。>

(2)■《くき》を煮て、それを患部に浸せ。

<■は漢字ですが、表記できませんでした。豆に支です。>

 (3)豆@の汁で墨をすり、これを肛門に入れること。
 @大豆の汁か。あるいは■<豆に支>の汁か。

 (略)

(1 略)


■第十三章 湿■《しつじょく》の治療法

<■は漢字ですが、表記できませんでした。匿の下に虫を書きます。>

[解説]

(略)

ただし、現代漢方には■《じょく》という病名も湿■《しつじょく》という病名もない。(略)

(略)

2 『録験方』
 湿■<しつじょく>のために肛門に瘡ができた場合の処方。
 (1) 胡粉《ごふん》
    水銀《すいぎん》
    黄檗《おうばく》
  三種のすべてをそれぞれ冶って粉末にし同量ずつ合わせてさらに研る。そしてこの水銀散全部を患部に
 つけよ。
 [注]水銀は有毒であり、現代漢方では使用しない。 

 (2)常に猪(豚)の胴や腸を炙り、これを食べればよい。 

(略)

<以下、6項目まであります。>


■第十四章 疳湿《かんしつ》@の治療法

@現代漢方の病名にはない。

[解説]

(略)

 「甘いものばかり食べると寄生虫がわく」といいならわされているが、その語源が六一〇年に成立した隋の煬帝《ようだい》勅撰の医書に在ったのは驚きである。
 現代漢方では疳は、腺病質な幼児の疳積《かんせき》と同定されており、小児の慢性消化不良を伴う栄養障害をいう。虫積のほか病後の失調、早期の離乳、節度のない飲食などによって脾胃がそこなわれ、その結果、栄養の吸収がなされず、長びくと他の臓腑をそこなう─とされている。癇癪《かんしゃく》をおこしやすいので、怒りやすい大人も癇癪持ちという。

(略)

 (2)(その虫は)出て来てのどや歯■@《しぎん》を食う。それが瘡となり、黒い血が出て歯の色は紫黒色となる。(その虫は)下っていって腸や胃を食うので黒い血の混じった下痢をする。(さらにその虫が)出て肛門を食うと、瘡ができ、それがひらいて爛れる。胃気は虚となってさかのぼり、それは嘔■A《おうえつ》に変化する。急激な者は数日で死んでしまう。緩やかな者も何も物を言わなくなり、手足は重くてずきんずきん痛み、飲みものも僅かしかとれなくなり、頭の色つやも失われてしまう、と。

@はぐき (歯■《しぎん》の《ぎん》は漢字の説明ができない。)
A嘔吐や吐き気 (嘔■《おうえつ》の《えつ》は口偏に歳)

<以下、11項目まであります。>


■第十五章 諸の治療法
[解説]
には核(いぼ)、裂(きれ)、瘻、脱肛があり、核は内核と外核に大別され、外核で血が固まったようなものを血栓《けっせん》性外核という。以上は、現代医学における分類だが、漢方では、内、外、内外(内と外の合併症)、■<やまいだれに息>肉《そくにく》、翻花《ほんか》、沿肛、鎖肛《さこう、脱肛、肛瘻《こうろうなどがある。

古代医学では、
 病源論 牡
ぼじ》、牝ひんじ》、脈《みゃく》、腸《ちょう》、血《けつ》、酒《しゅ》、気《き》 
 痔
、瘻《ろう》
 養生方 気

 竜門方 雄
《ゆうじ》、雌《しじ》、脈、腸、気
 療
病経 風ふうじ》、熱、陰、三合《さんごう》、血、腹中、鼻中《びちゅう》、歯《し》 
 痔
、舌《ぜつ》、眼《がん》、耳《じ》、手足《しゅそく》、背脊《はいせき》、糞門《ふんもん》、 
 遍身支節所生《へんしんしせしょせい

 小品方 血が縦横に出るもの、肉があるもの、肛門痒痛、

 千金方 気
、牡、牝、腸、脈、肛門から膿血が出るもの、寄生虫が孔をつくったもの
 僧深《そうじん》方、録験方、耆婆《ぎば》方、極要方 

 葛氏方 陽

 医門方 五
下血
 救急単験《たんげん》方 五

 伝信(でんしん)方 野鶏(やけい)
など、それぞれ病名が異なる。

(略)

 本章には、それぞれの
についての理論や治療法、食品や生活上の禁忌のほか、主治食品や主治薬についても紹介している。綿を包んで肛門に挿入する方法は、前章にあるが、本章の『極要方』では、綿《わた》のほか、柳絮《りゅうじょ》の利用を説いており、古代医療のようすが彷彿する。また、前章にあった青布のほか、緋布《ひふ》も焼いて灰にしたものを、配合している。緋布は、紅花《べにばな》で染めたものか茜草《あかねそう》で染めたものか不明だが、『大同類聚方』では駆虫剤として紅花を使っており、これか。
 本章には、理論のほか洗滌薬、内服薬、外用薬、坐薬、タンポン、灸などのほか、現存する『療
病経』からの抄録もある。

(略)

2 『養生方@』にいうには、
 大便をがまんして長いこと出さないでいると、気
になる、と。

 @『竜樹菩薩養性方』一巻、『許先生撰 養性方一』のほか『帝王養生要方 蕭吉撰』などがあった。そのどれか不明。

(略)


<以下20の項目まであります。
の禁忌や様々な治療法などがたくさん記載されています。>