痔の散歩道 痔という文化

ガマの油 ─口上で売れた止血剤

「(略)
 ところで、ガマの油にはこんな民話が語られている。天正一八年(一五九〇)、江戸城に移った家康は鬼門にあたる筑波山を祈願所に制定したが、知足院忠禅寺(いまの筑波神社)の光誉という医術の心得のある僧侶が大阪冬の陣と夏の陣に従軍したとき、持参の膏薬で何百人もの傷兵を片っ端から介抱してやったという。
 その膏薬をつけるとぴたりと血が止まり、すぐ痛みも消えてしまうので、噂は全軍に広まった。この坊さん、目玉の飛び出たイボだらけの御面相だったとか。つまり、ガマ将軍の油薬が略されて『ガマの油』になったというのである。
 もう一つ、口上にまつわる伝説もあった。光誉坊さんの死後、筑波から東南三里の新治村永井集落に兵助と呼ぶ男がいたが、これが手におえない極道者。百姓が嫌で江戸へ出てみたが根が怠け者だからすぐ食いつめてしまう。思いあぐねた兵助は、筑波山の山頂から故郷を一目みて死んでしまおうと決心し、女体山の山路をたどって行った。
 すると、山頂近くで大ガマが、真っ赤な口を開けて行く手をふさいでいるではないか。「南無三、筑波大明神」と合掌する兵助。だがガマは一向に襲ってこない。そっと目を開けてみると、それは大岩に夕日が映えているのにすぎなかったのだ。
 兵助は空腹で身動きもできなくなり、いざりのように岩へ身を寄せると、どこからともなくゲゲツ、ゲゲツというガマの声が聞こえてくる。それが不思議なことに、人間の言葉となって兵助を励まし続けるのだった。
 七日七晩そこで座禅を組んだ兵助が、ポンツと膝を叩く。『ガマに助けられたのも何かの縁。光誉坊さんの膏薬を江戸に広めよう』─そして数日後、江戸は浅草寺の境内に大音声を張り上げる兵助の姿があった。ガマの油は飛ぶように売れ、兵助は江戸一の香具師になって故郷に錦を飾ったという。

(略)

 ガマの油の素である『蟾酥(せんそ)』は、遠く奈良時代に中国から渡来し、正倉院御物の中にも医薬として保存されている貴重な生薬だ。中国の河川や掘割にはガマがたくさん棲息しているが、これを捕らえて絞り、出た汁を一週間も放置して乾燥すると赤褐色の樹脂のようになる。
 さらに時間が経つと黒ずんできて、手応えはカチカチに硬い。ものすごい収斂性があり、これに触れた手をなめようものなら舌がしびれてしまうほどだ。センソは『薬局方』にも収載されている生薬で、五ミリグラム以下は普通薬の扱いとなっており、六神丸や救心などの売薬にも強心鎮痛剤として配合されている。
 
(略)

 ところが、いま筑波山で売られている『陣中膏・一名蝦蟇(ガマ)の油』という軟膏の処方をみると、塩酸エピレナミン、紫根、硼酸、亜鉛華、蜜蝋、オリーブ油だけ。外箱には『外傷、火傷、凍傷、湿疹、
に一日二〜三回塗布』と記してある。
 強いてガマの油と関連づけるなら、塩酸エピレナミンが含まれているくらいなもの。ありふれた外傷軟膏なのだ。センソ入りのガマの油は、もう手に入らないのである。

(略) 


東京堂出版「伝承薬の事典─ガマの油から薬用酒まで」 鈴木昶著 一九九九年二月二五日初版発行
から引用


■伝統 筑波山名物 “ガマの油売り“口上

サアーサアーお立合 ご用とお急ぎのない方はゆっくりと聞いておいで、遠出山越え笠のうち、聞かざる時は物の黒白出方善悪がとんと分からない。山寺の鐘がゴーンゴーンと鳴ると言いども、童児来たって鐘に撞木を当てざれば鐘が鳴るのが撞木が鳴るのか、とんとその音色が分からない。

サテお立合 手前ここに取りいだしたる筑波山名物ガマの油
ガマと申してもただのガマとガマが違う、これより北、北は筑波山のふもとは、おんばこと云う露草をくろうて育った四六のガマ、四六五六はどこで見分ける。前足の指が四本、後足の指が六本合せて四六のガマ、山中深く分け入って捕いましたるこのガマを四面鏡ばかりの箱に入れときは、ガマはおのが姿の鏡に映るを見て驚き、タラーリタラーリと油汗を流す、これをすきとり柳の小枝にて、三七 二十一日間、トローリトローリと煮つめましたるがこのガマの油。
 このガマの油の効能は、ひびにあかぎれ、しもやけの妙薬、まだある大の男の七転八起する虫歯の痛みもぴたりと止まる。
まだある
いぼ、はしり、はれもの一切、そればかりか刃物の切味も止める。
 取り出したるは夏なほ寒き氷の刃、一枚の紙が二枚 二枚が四枚 四枚が八枚 八枚が十六枚 十六枚が三十と二枚 三十二枚が六十四枚 六十四枚が一束と二十八枚 ほれこの通り、ふっと散らせば比良の暮雪は落花の吹雪とござい。
 これなる名刀も一たびこのガマの油をつける時はたちまち切味が止まる。おしてもひいても切れはせぬ。
と云うてもなまくらになったのではない、このようにきれいにふきとるときは元の切味となる。

サーテお立合
 このようにガマの油の効能が分かったら遠慮は無用だ、どしどし買ってきな。

注 これは江戸時代より伝わるガマの油売り口上です。
現在販売されておりますガマの油の効能書ではありません。
ガマ口上保存会
 

■「がまの油 落語から

【プロット】
ご存知がまの油の口上

 さあ、御用とお急ぎでない(かた)はゆっくりと見ておいで。遠目山越し笠の内、物の文色(あいろ)理方(りかた)がわからぬ。山寺の鐘は轟々(こうこう)として鳴るといえども童児一人(いちにん)来たり鐘に撞木(しゅもく)を当てざれば鐘が鳴るやら撞木が鳴るやら、とんとその音色(ねいろ)がわからぬが道理。
 だがしかしお立ち合い、てまえ持ち(いだ)したる(なつめ)の中には一寸八分唐子(からこ)ゼンマイの人形。日本には人形の細工人(さいくにん)あまたあるといえど、京都にては守髄(しゅずい)、大阪(おもて)にては竹田(ぬい)之助、近江(おうみ)大掾(だいじょう)藤原の朝臣(あそん)。てまえ持ち(いだ)したるは近江がつもり細工、咽喉(のど)には八枚の歯車を仕掛け背中には十二枚の(こはぜ)を仕掛け、大道(だいどう)に棗を据え置く時は天と光と地の湿(しめ)りを受け陰陽合体致したる時、棗の蓋をパッととる。ツカツカ進むが虎の小走り虎走り雀の小間(こま)取り小間返し、孔雀霊鳥の(まい)
 人形の芸当は十二通りある。だがしかしお立ち合い、放り(せん)投げ銭はおよしなさい。てまえ大道に未熟な渡世を致すといえど放り(せん)や投げ銭はもらわぬ。では何を稼業と致すと言うに、てまえ持ち(いだ)したるはこれなる蟇蝉噪四六(ひきせんそうしろく)のがまの油だ。そういうがまはおれの(うち)の縁の下や流しの下にもいると言うが、それは俗にいうおたま(がえる)蟇蛙(ひきがえる)、薬(りき)と効能の足しにはならぬ。
 てまえ持ち(いだ)したるは四六(しろく)のがま。四六五六はどこでわかる。前足の指が四本に後足の指が六本、これを名付けて四六のがま。このがまが()めるところはこれより遥ーか北にあたる筑波山(つくばさん)(ふもと)車箱(おんばこ)という露草(つゆくさ)()らう。
 このがまの()れるのは五月に八月に十月、これを名付けて五八十(ごはつそう)は四六のがまだお立ち合い!
 このがまの油を()るには、四方に鏡を立て下に金網を敷き、その中にがまを追い込む。がまはおのれの姿が鏡に写るのを見ておのれと驚き、タラーリタラリと油汗を流す。これを下の金網にて()きとり、柳の小枝をもって三七廿一日(さんしちにじゅういちにち)の間トローリトロリと煮詰めたるがこのがまの油、テレメンテエカにマンテエカ。
 金創(きんそう)には切り傷、効能は
出痔(でじ)イボ痔ハシリ痔横根雁瘡(よこねがんがさ)その他()れ物一切に効く。いつもは一貝(ひとかい)で百文だが、今日(こんにち)披露目(ひろめ)のため小貝(こがい)を添えて(ふた)貝で百文だ─。
 と、(はまぐり)の貝殻に詰めたがまの油を売り始めるように見せかける。註文を急ぐ気の早い客をわざと制し、このあとがパフォーマンスのクライマックスだ。
「がまの油の効能はそればかりかというと、まだある。切れ物の切れ味を止める。てまえ持ち(いだ)したるは鈍刀たりといえど先が斬れてもとが斬れぬ、なかばが斬れぬというものではない。ご覧の通り抜けば玉散る氷の(やいば)、お目の前にて白紙を一枚切ってお目にかける。さ、一枚の紙が二枚に切れる。二枚が()枚、四枚が八枚、八枚が十六枚、十六枚が三十二枚、三十二枚が六十と()枚」
 鮮やかに切り刻んだ紙を頭上へふッと吹き飛ばす。
「春は三月落花の形、比良(ひら)暮雪(ぼせつ)は雪降りの形だお立ち合い。かほどに斬れる業物(わざもの)でも差し裏差し表へがまの油を塗る時は、白紙一枚容易に切れぬ」
 腕をまくって刀をあてる。
「さ、この通り、叩いて切れぬ。叩いて切れない引いて切れない。油を拭き取る時はどうかというと、鉄の一寸(いた)も真っ二つ、(さわ)ったばかりでこれくらい切れる。だがお立ち合い、こんな傷は何の造作(ぞうさ)もない。がまの油をひとつけつける時は、痛みが去って血がピタッと止まる。何とお立ち合い!」
 聞き惚れ見惚れた大道の客たちは先を争って買い求めた。一仕事すんだ油売りは一杯飲んでヘベレケとなった。まだ日が高い、もう一商売しよう。が、そこが酒の上。
「・・・・・てまえ持ち(いだ)したるは、・・・・・二六のがま。前足の指が三本、後足は八本」
 それじゃタコだ!
「そうタコ。酢ダコがうめえや。二六のタコ、じゃないガマ。はるか西の高尾山に棲んでる」
 いつもと場所がちがうぞ!
「うるせえ、こんなものどこにだっているんだ。がまの油の効能は
痔イボ横根雁瘡腫れ物一切だ。どうだ、よく覚えてるだろ。いつもは二貝で百文だが、今日は一貝百文」
 高いぞ!
「一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が五枚だ。あ、六枚? とにかく滅茶苦茶に切れちゃう。がまの油をつければ、叩いて切れない、引いて、・・・・・イテッ、切れた。でも、血止めにがまの油をひとつけつけ・・・・・、たが止まらない。そうなったらたくさんつけて薬の重みで血を止める。あれ、止まらないよお立ち合い!」
 どうした!?
「お立ち合いのうちに血止めはないか?」

【コメント】
(略)

弘文出版 「ガイド落語名作プラス100選」 京須偕充(きょうすともみつ)著 1999年5月15日 第1刷発行 から引用



一部原文表記と異なるところがあります。


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