■1 日記(明治44年12月)抜粋 12月8日(金) ○佐藤さんへ行く痔が癒るやら癒らぬやら実以て厄介である。 [佐藤さん」:佐藤診療所。(現千代田区神田錦町にあった。) ○佐藤氏曰く屁は臭いが新しい糞は夫程臭いものぢゃない。 12月12日(火) ○痔瘻の分泌少なくな る。大分の抵抗力を押し切ってより軟膏を入れても痛からず却つて心地よし。 ■2 日記(明治45年、大正元年)抜粋、漱石の痔手術日記 9月26日(木) ○正午痔癆(瘻)の切開。前の日は朝パンと玉子紅茶。昼は日本橋仲通りから八丁堀茅場丁須田丁から今川小路迄歩いて風月堂で紅茶と生菓子。晩は麦飯一膳。四時にリチネヲ飲んで七時に晩食を食ふたが一向下痢する景色なし、翌日あさ普通の如く便通あり。十時頃錦町一丁目十佐藤医院にきて浣腸。矢張り大した便通なし。十二時消毒して手術にかゝる。コカイン丈にてやる。二十分ばかりかゝる。瘢痕が存外かたいから出血の恐れがあるといふので二階に寢ゐる。括約筋を三分一切る。夫がちゞむ時妙に痛む。神経作用と思ふ。縮むなといふideaが頭に萌[きざ]すとどう我慢しても縮む。 まぎれてゐれば何でもなし。 部屋から柳が一本見える風に揺られて枝のさきがうごいてゐる。前の家で謡をしきりに謡ふ。赤煉瓦の倉の壁が見える。床に米華といふ人の竹がある。 北窓間友とかいてある。 夜 新内の流しがくる。夜番が拍子木を鳴らしてくる。えい子あい子来る。 「えい子」:漱石の三女 「あい子」:漱石の四女 9月27日(金) ○食事パン半片[斤]の二分一.鶏卵二。ソップ一合。牛乳は断はる。岡田がくる。藤村の食後と澪といふものを買って来てもらふ。晩に東と妻がくる。 「米華」:山岡米華。日本画家 「食後」:島崎藤村の短編小説集 「澪」:長田幹彦の短編小説集 9月28日(土) ○尻の穴の方のガーゼを取る。今晩帰ってもいゝと云ったが面倒だから一週間ゐる事にする。隣は洗濯屋。・・・・・・へ行くなら着て行かしやんせ。シツ〈シツ〉シ。無暗にうたをうたふ。少しうるさくなつてきたぜといふ。隣が洗濯屋でなければいゝといふ。さう馬鹿に見えるかねといふ。洗濯屋は人間かいといふ。行徳が昼過くる。妻がよるくる。妻に富貴紙と巻紙と状袋を買はす。 9月29日(日) ○朝回診の時尻の瘡の処をつゝかる。少々痛し。ガーゼを少し緩めて見たらまだ血がにぢみ出すから二三日そつとしてゐないとわるいといふ。二三日すれば出血しても迸りはせぬから構わないといふ。 看護婦さんが銀杏返しに結う。髪に結ひましたねといふと、へえいたづらを致しましたと答へた。膳を持つてくる時には日本服を着てきた。どこかへ出ますかと聞くと、いえあたまを結ひましたからと答へた。 夕方洗濯屋の物干にある一列の洗ひ物がまだ乾かないと見えて物干から突き出したまま儘それなりになってゐる。それが景色を受けて薄藍に見える。た[と]つぷり日が暮れて空の色が沈むといつの間にか白い色が浮き出して風に揺られてゐた。 夜に入つて雨。毛布一枚で夜半寒し。 9月30日(月) ○前夜の引つゞきにて雨降る。わびしき日也。今日は手術後五日目なれば順当に行けば始めてガーゼを取替る日なり。うまく取り替られゝばいゝが。回診の時医師はガーゼを取り除けて至極いゝ具合です。出血も口元丈で奥の方はありませんといふ。 10月1日(火) ○十一時浣腸。ガーゼを取り替へる。瓦斯[ガス]多量に出る。便は軟便にて少々なり。「出血はありましたか」と聞く。「是が癒り損なつたらどうなるでせう」「又切るんですさうして前よりも軽く穴が残るのです」心細い事である。「なに十中八九迄は癒るのです」「三週間遅くて四週間です。」「括約筋をどうして切り残して下からガーゼが詰められるのですか」「括約筋は肛門の出[口]にやありません。五分程引込んでゐます。夫を下からハスに三分程削り上げた所があるのです。括約筋の三分一です」瘡のない右の方がはれて苦しい。床の中でぢつと寐てゐる。あしたから通じをつけると云って腹のゆるむ薬を一日三回に飲む。 ○寐てゐて見てゐると前にある煉瓦の倉が見える。其所に打[折]釘の大きな様なものが一列に三本と山形の下に一本見える。是は装飾だらうか実用だらうかと考へる。装飾ならつまらないものである。実用なら何になるんだらう。あの折釘に縄をかけて上つて来てそれで仕舞に其釘の股に足を掛けて家根に上れるだらうかと色々考へる。とう〈とう〉上れそうもないと思つてあきらめる。煉瓦の前に電線が三本ばかり風にふら〈ふら〉して見える。 ○隣の洗濯やは自分の縁側から三尺許りの所の穴から屋根へ出るやうになつてゐる夫から階子段を上つて寐てゐる物干へ洗濯物をかついで出る。小僧が白いものを担いで物干台の所迄上つて行つて其所へ放り出すと上にゐた大僧が白いものをぢかにそんな所に置く馬鹿があるかいと云つて、いきなり頭を張りつける。小僧はだまつて白いものを一つ一つ拾つて籃の中に入れてゐる ○小さい看護婦は群馬のものだといふ。(大きなのも群馬である)。名前を聞いても云はないから、それぢや君の事を群馬県と云つてもいゝかといふと、よござんすと答へた。今日午のときまた聞くと、石がつきますといふ。石井、石川色々あげたが、いゝえといふ。仕舞に石関ですといふ。名はひやくだといふ一二三四の百だといふ。それから御百さん〈御百さん〉といふ。大きいのは都丸しくだといふ。「内のものはみんなくの字がつきます」 10月2日(水) ○昨夜から粥を食ふ。昨日から腹をゆるめる薬を呑む為め今日は通じを催ふす。診察時間前故我慢する。 陰。冷やかな風。 午過細君車を持つて迎に来る。看護婦二円宛やる。荷物を風呂敷に包む。袴は穿かずに合羽を着る。 10月3日(木) ○便後医者に行きガーゼを取り替へる。新しいガーゼを入れる時痛みが段々なくなる。 夜小宮岡田鈴木がくる。 10月4日(金) ○朝便通なし。医者で浣腸してもらふ。 10月5日(土) ○朝後架にてひよ鳥の鳴声を聞く。 ○医者に行く。「今日は尻が当り前になりました。漸く人間並の御尻になりました」と云はれる。今日は便後肛門があれてゐなかったからである。 ○帰りに牛込見付を出ると、市谷八幡の方角の森と小石川の牛天神の森のなかの木が幾本か焦げたやうな色に変つてゐる。 秋の影響は既に梢を侵したのかと思ふ。夫だのに人はまだ大概単衣[ひとえ]を着てゐる。日はかんかん当つて目眩ゆい位である。 ○車上にて「痔を切つて入院の時」の句を作る。 秋風や屠られに行く牛の尻 「牛天神」:文京区にある北野神社のこと ■3 大正元年9月28日小宮豊隆あて書簡抜粋 9月26日に手術をしているので、この書簡は手術後二日目に出したものになります。 (略) 御尻は最後の治療にて一週間此所に横臥す。僕の手術は乃木大将の自殺と同じ位の苦しみあるものと御承知ありて崇高なる御同情を賜はり度候。 (略) 「乃木大将」:乃木希典。陸軍大将。学習院長。明治天皇の大葬の当日、妻とともに殉死した。 すべて漱石全集から引用 (〈 〉内は、IME2000で表記できないため原著と異なります。) ※小説「明暗」、「痔に悩んだ人々@」もご参照下さい。 |
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