痔の散歩道 痔という文化

痔の語源
■寺に入らないと治らない?痛みのため神仏に頼る?寺での修行は冷たいところに座るので?

やまいだれに寺というとあの「お寺」に関係するものと想像してしまいます。しかし、お寺とは関係がないようです。中国に仏教が伝来する前からこの「痔」は使われていたとのことです。


角川「大字源」によると、「寺」という文字は、つかさ、役所で西域から来た僧侶に役所を住居として与えたところから「てら」の意に用いるとあります。「痔」は、意符のやまいと、音符の寺(シ→ジ→チ→ヂ(尻のあなの意=司(シ))から成り、しりの穴の病気の意とあります。


また、土屋周二「Proctologyの歴史」(肛門疾患の知識)によると、
「(略)広く肛門疾患を指す『痔』とい文字は、『そば立つ、じっととどまる、峙』の意から由来し、佛教の寺院などとは無関係である。この文字は仏教渡来以前の春秋戦国時代にも存在していたという。そしてはじめは『痔』とは各種の突出した病変を包含していたが、宋時代頃から肛門のものに限られるようになったとの
ことである。(略)」


さらに、山本八治「痔の名称並びに異名」(日本直腸肛門病学会誌8:1、1951)によれば、
「痔といふ字は疒の下に寺と書いてあるから、痔に罹ればお寺に行かなければ治らぬ不治の病のやうに考へ、その意味から痔の文字が生まれたやうに云う者があるが、然しそれは相違する。
 医学最古の書といはれてゐる周末期の黄帝内経素問によれば、筋脈横解し腸澼して痔となると記されて居るので、この時初めて痔なる文字が文献として現はれたことになる。神農本草経にも痔のことが記載されてゐるが、然しこれは神農時代の著書ではなくて、周時代よりは遙かに後の漢時代に著述されたものと謂はれてゐる。
 降つて宋時代の三因方(陳言)によれば、大澤中小山突出有るを悉く峙(そえやまひ)と為し、特に肛門辺に於て生ずるものばかりでなく、九竅中に於て凡そ小肉突出するものあれば皆痔と言ってゐた。例えば、鼻痔・眼痔・牙痔といふが如くである。その後腹中痔・脊痔・頂痔・手足痔等を附け加えるようになつたのであるが、説文に痔は後病也と注釈して居り、更に文政年間校正方興(有持桂里)に於て単に痔といえば肛痔に限ると説明するに至つて、痔の文字は本来の意義に還元したのである。斯様に古典を詮索すれば後世小肉突出した形貌より痔と称したのである。冒頭に述べたように、お寺に行かねば治らぬ不治の病なるが故に痔と作字したように主張するものは真実でないと思はれる。(略)」
旧漢字は、一部新漢字に改めてあります。

なお、次のページ「中国の痔」も参照してください。痔の文字の由来について、別の説にも触れています。


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